10/28(水)アジアの未来『三日月』の上映後、イスマイル・バスベス監督、ハヌン・ブラマンチョさん(製作)、アジズ・ディビオさん(製作)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
イスマイル・バスベス監督(以下、監督):皆さまにお会いできて嬉しいです。そしてインターナショナル・プレミアがここ東京国際映画祭であるということはこの作品にとって大変な栄誉です。機会をいただき、皆さんにお礼を申し上げます。
ハヌン・ブラマンチョさん:同じく、監督と同じ思いです。
アジズ・ディビオさん:アリガトウゴザイマス。ブラマンチョさんは直前まで来れるか分からず、もう無理だと思っていましたが、今回一緒に来日できることになってとても嬉しく思います。というのも、彼なくしてこの映画は完成することはあり得なかったからです。
Q:まずはこの、新しい月を探しに出かけるというイスラム教の風習について教えて下さい。
監督:イスラムの伝統というのは月の暦を伝統にしていて、いわゆる西洋史のカレンダーとは異なります。科学的なものや、いわゆるカレンダーであれば、次に新しい月や日にちが始まるというのは予測ができるかもしれません。しかしイスラムの伝統はまた独自の算出方法なんです。
ヒラル、三日月というのは、特にラマダン(断食)のときに盛んに語られて、「さぁ、いつなのか」ということになるんですが、実はそれがいつかというのははっきり誰かが決めるというものではなくて、さまざまな法則というか、判断があるんです。
実はこれは、「時」ということを考えたときに、「時」というのは等しくあるものなんですが、同じ「時」は「時」でも、それをどう取るかというのはそれぞれの見方があって、状況や宗教的なグループによって異なるわけですね。ですから、ある意味これは冗談のネタになっているというか、グループごとに見方が違うので、他のグループを茶化したり、それぞれの判断の基準というのがあるのです。
断食の最終日がいつなのかという憶測はいろいろあって、これはなかなかやり辛いものなので、政府が様々なイスラムの宗派やグループの人を集めて、「これが本当に断食の最後の日なんだよ」というのを決めるミーティングを持とうとはしています。しかし皆さんご存知のように、インドネシアの政府はなかなか腐敗を帯びているので、この沙汰も金次第なところがあります。映画の中にもお金で解決するような人が出てきますが、まさにそれを皮肉っているんです。
なので、ブラマンチョさんがこの企画を持ち込んでくださった時、私もこれはとても意味がある作品だと思いました。まず始めにムスリムとして、そして人間として、やはりイスラムというのは、極端な思想を持つ人が牛耳ったりするのではなく、様々な見解があって、みんながアイデアを出し合って、ちゃんと繋がって、繊細な問題を解決していかなくてはいけないと。また、政治など何か大きなことを解決したいと思ったら、まずは対話が大事であると思います。そして何よりも一番小さな政治というか、その単位は家族だと思うんです。家族のなかで対話が持てないのにどうして他の人と話ができるいうのでしょう。そういうこともあって、父と息子を選びました。
Q:青年のパスポートの名前がヒラル・ハナフィ・マフムードだったんですが、これは彼の本名で、愛称がヘリだったのでしょうか。
監督:そうですね。ヘリは愛称で、パスポートに書いてあったのが本名です。
Q:監督の1作目である『月までアナザー・トリップ』はとても前衛的で、ロマンティックかつ神話的な作品でした。それに対して今回はとても正統派なドラマです。監督はこれからどういう作品を作っていきたいのでしょうか?
監督:まず、僕は映画のことを、思い出の詰まった箱だと考えています。つまり、その中から映画を作る。それから、僕は人として常に進化していきたいと思っています。常にマインドを開いて、広い視野を持って、経験を積んでやっていきたいです。
映画作りは誰と組むかというのも重要な要素になってきます。実は、僕とブラマンチョさんのペアでもう3本目の作品を撮りました。そしてこれ、コメディなんですね。ブラマンチョ自身が監督でもあるので、彼はまた別のものを撮っているかもしれませんが、僕達にはさらに4本目の企画がありまして、これは是非来年、日本で撮りたいなと思っています。僕はまだ若いですし、ジャンルを限らず、広くオープンでいたいと思います。
Q:日本でどんな映画を撮りたいのですか?
監督:「希望」に関する映画ですね。一人の男がいて、もうダイスケと名づけているんですが、彼はただ目的もなく生きている人で、親を知らないという厳しい過去を背負った人です。そしてなかなか人と繋がることができない。その彼がある日、ある道端の花を見て、そこから展開していくと。ダイスケは「人間」を、花は「希望」を象徴するということぐらいの大体の発想はできていて、まだ脚本を作っている最中です。
Q:さっきお話になったお二人の次回作『TALAK TIGA』は、今回の東京国際映画祭で上映されている『民族の師 チョクロアミノト』でチョクラアミノトを演じたレザ・ラハディアンが出ると聞いています。
監督:レザ・ラハディアンさんは『ハビビとアイヌン』という大作でとても有名になりました。『When will you get married』という作品もやっていましたね。この『ハビビとアイヌン』は、興行的にもとても成功して、批評家の評判もよかったです。実はこれもブラマンチョさんが手がけた作品で、非常に実験的な作風の監督さんと組んでいました。実験的と言えば僕もそうですよね、彼はアート思考のディレクターと組んで、大衆向けのものを作るんです。彼がそれだけクレイジーな人だから、僕たちは映画を作る機会があります。この『三日月』に関しては、インドネシアでは観客動員は少なかったんですが、批評家によるとここ数年のインドネシアの中で最高の作品ではないかという評価をいただきました。このようにTIFFにも選ばれて来られたという、それだけで十分に評価をしてもらえているなと感じています。
Q:父親がひとりで目的地に向かい、息子が戻ってきます。でもその前夜には村で、ラマダンの最後の夜を祝ってしまっていました。あれはラマダン明けの次の日ととるべきか、それともまだラマダンの最後の日なのか、どちらですか?
監督:丘に登ってタワーに着いたときはもう次の日で、断食は終わったという理解でいます。ただ、前夜のシーンで村人に会いましたよね、そこでいろいろ議論をしますが、これがエイドという、つまり彼らも断食が終わってお祝いをしてしまっていて、これがまさに人によって、宗派によって、それぞれにラマダンの最終日を決める見解があるというのを象徴したシーンなわけです。
あの二人がタワーに行った日が断食明けの日か次の日かというのは、話の上ではあまり重要ではないんですね。村の人たちの議論で出てきたのは、彼らはヒサップという手法で、計算によって断食の最後の日というのをはじき出していると。最後の日から365日経っているから「はい、明けたよ」という風に決めてしまっているわけです。マフムドはちょっとオールドファッションで、発想的に古典的なので、自分の目で見て三日月を確認しないと納得できないという人なのです。