10/29(木)アジアの未来『The Kids』の上映後、サニー・ユイ監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
サニー・ユイ監督(以下、監督):皆さん、こんにちは。今日は『The Kids』の2回目の上映ですが、こんなに多くの方が残ってQ&Aに参加していただくということで、本当に嬉しいです。この映画をお気に召していただけたとしたら幸せです。ありがとうございます。
Q:時間の流れから見て、子どもはバオリーの子どもではないんだと思うんですが、そのことをほとんど台詞のなかでは語っていません。どういう意図でそういう流れにしたのでしょうか?
監督:よくそのような質問を受けるのですが、まずはっきり言ってしまうと、間違いなくバオリーの子です。エンディングの辺りで二人が子どもを抱っこして、未来に向かいあっていくというようなシーンがありますけど、そこで大体想像していただけるのではないかと思います。はっきりしたことは述べていないものですから、よく誤解される方がいるのですが、この子どもはバオリーの子です。
時間的に計算していくとちょっと「んー?」は思うのですけども、微妙なところで。
Q:コーヒーショップの店長の奥さんの友だちが、子どもを引き取りたいとヒロインに言うわけですが、あの人は本当は自分の養子にするのではなく、子どもを売るというか、アメリカ人に売ることで何か自分が仲介料を取ったりするビジネスとしてやっているのでしょうか?
監督:アメリカから台湾に帰ってきた、あの女性チャン・チンが本当に自分の子どもとして欲しいのかということは、はっきりとは語っていません。でも、カフェの奥さんの友だちであるということはまずここではっきりしていて、チャン・チン自身は自分が子どもに恵まれなかった、だから台湾に帰ってきて、誰か生活に困り子どもを育てられないような特別な事情がある、そういう子を引き取って、自分で育てたいと思っている。そういう設定となっています。
Q:予算の都合などの話も合わせて、撮影で気にされたところなどを聞かせていただけますか?
監督:確かにこれは私の最初の長編なので、いろいろな面で困難はありました。ごくごく低予算で撮った作品なのです。この作品に参加してくれたスタッフのほとんどは、私が前の仕事で助監督をしていたときに知り合った友人たちなんです。ですので、彼らは本当に低い給料で、長時間いつもがんばってくれました。本当に申し訳ないことをしたと思っています。でも、とても友情と人情でみんな頑張ってくれたと思います。やはり第一作の制作にはこういうことがつきものですね。
Q:手持ちカメラの動きがとても効果的でした。ラストでは割と固定でぐーっと引いていて、そこに力強さを感じました。どういうときに手持ちカメラにして、どういうときに固定にしようというポリシーは何かあったのですか?
監督:自分はもともと手持ちカメラの雰囲気がとても好きなんです。今回、主に現在を撮る部分で手持ちカメラを多用しています。人物に接近して、感情をすくいとるというような目的で手持ちを多用しています。また、フラッシュバックの、過去の部分を撮る時はほとんど固定で撮っています。あの引きの場面とかですね。二人が楽しかった、美しかった過去を撮る時というのはほぼ固定で、またレールを使ったりしています。そういうように、過去と現在の区別という点がカメラの手法の違いになっています。
Q:ポスターがすごく素敵ですが、何故そんなにさっぱりしたポスターなんですか?
監督:これは私とエグゼクティブ・プロデューサーのアービン・チェンと二人で考えてデザインしました。もともと独立系の映画であるわけなので、なかなかポスターにも予算がないということもありますが、今回、東京国際映画祭に参加するということで、二人でデザインしてみました。私はこういうさっぱりとした雰囲気がとても好きです。
Q:主人公の二人、特に女の子の方がとても魅力的でした。キャストについてお話していただけますか?
監督:男性の方がバオリー役のウー・チエンホー、そして女性がジアジア役のウェン・チェンリン。彼らにはデビューしたての第1作目が出た時に知り合いまして、もう5〜6年の付き合いになります。とても親しい間柄なのです。いまこの二人は、台湾の新電映の様々な作品でいろいろな役を演じていて、とても人気のある俳優です。特に、今回ウェン・チェンリンは初めての主役です。彼らの演技を好きと言っていただいて、私もとても嬉しいです。私はこのふたりの、この映画のなかでの演技にとても満足しています。
Q:ラスト、なぜそういう終わり方にしたのか、二人をあの状況にして終えた理由をぜひお聞かせください。
監督:よいご質問をありがとうございます。ラストは私が表現したかったことなんですよね。このエンディングに私は希望を込めました。現実によって彼らは本当に打ちのめされて、絶望してしまうわけですが、でもこの二人は、かつてあんなに楽しく幸せに、未来を夢みていたわけですよね。だからきっと、いま絶望の中にいても、これからも過去と同じように、やはり未来に新たな希望を見つけることができるだろうと。そういう意味合いのエンディングにしました。
Q:主人公の母親が博打好きの母親でしたが、全く仕事をしないで暮らしてきたような感じに見えました。その辺りの設定をお聞かせいただけますか?
監督:この母親は、かつては工場で働いていたか、あるいは飲食店のウェイトレスとか、そういうことをしていた人物だと私の中で設定しています。ただ自分の息子が結婚して赤ちゃんが生まれて、その赤ちゃんを見る人が必要なので家にいることになった、という風にしています。しかし、このお母さんはギャンブル好きで、博打で負けたわけです。そして指をつめさせられていましました。台湾のヤクザ社会の文化では、借金を返せないと指をつめるという文化があります。この母親は指をつめて障害者になってしまったわけです。何かと体裁が悪いので、家に居て赤ちゃんを見るという設定で働きにはいかないということになっています。
Q:もしターゲットを絞ってお客さんを呼ぶとしたら、どのような年代の人に観てもらいたくて、どんなことを言いたいかをお聞かせください。
監督:私が伝えたいことは、どんな年齢・国の方でも分かっていただけるものだろうと思っています。このような子供たちを描いたのは、私の身近でこのようなことが起こったためです。若いパパは現実のつらいことに迫られて、強盗を働いてしまいました。でも彼の悪い状況だけ見るのではなく、なぜ少年が社会的に追い込まれる立場になってしまったのか、十代の子供たちを理解したかった。高校生、主婦、年配の大人の中から見ていただく人を選ぶとしたら、大人に観に来てもらいたいです。子供たちの状況を大人に知っていただきたい。
Q:甘酸っぱい過去と厳しい現実があり、どちらともいえない中間をカットして描いたのにはどんな意図があるのでしょうか。
監督:中間は語る必要はないと考えました。彼らが知り合って恋愛している、甘くて美しい部分、それからいきなり現在の苦しい現実に直面しているところを描いたほうが対比として分かりやすいと考えたためです。