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2015.11.13
[イベントレポート]
「1歳でも早く、寺山修司に出会うというのが、若者たちにはいい」寺山修司生誕80年 TERAYAMA FILMS『さらば箱舟』-10/28(水):ゲストトーク

さらば箱舟

©2015 TIFF

 
10/28(水)寺山修司生誕80年 TERAYAMA FILMS『さらば箱舟』の上映後、笹目浩之さん(テラヤマワールド代表)をお迎えし、ゲストトークショー が行われました。⇒作品詳細
 
司会(田中文人):長い長い準備期間を経て、ついに今日最終日を迎えることができましたね。
 
笹目浩之さん(以下、笹目さん):千秋楽ですね。僕もほっとしました。
 
司会:今回の『寺山修司生誕80周年記念特集』というのは、ほぼ1年がかりで寺山ワールドさんと一緒に準備してきたものです。実は、寺山修司は他にも実験映像作品など、たくさん監督したものもあるんですが、今回は特に長編劇映画に限ってセレクトして、今回初めてレストア版を作ってDCP化しました。『ボクサー』『上海異人娼館 チャイナ・ドール』という長編作品もあるのですが、様々な理由があり、何本か抜けています。特に『上海異人娼館 チャイナ・ドール』は、権利的にいま非常に複雑なことになっていまして、最終的な権利者が良く分からなくなっているんですね。それで、今回断念したという経緯があります。少なくとも4作品『田園に死す』『書を捨てよ町へ出よう』『草迷宮』『さらば箱舟』に関しては、今回、各作品のカメラマンの方々、鋤田正義さんと,鈴木達夫さん、80歳を超えて大変お元気なお二人にお願いをして、ワンシーンごとに色調の補正をやり直し、傷をすべて消して、DCPを新たに作りました。皆さん、どういう風に感じていただけたかなと思っています。
 
笹目さん:非常にきれいになって。あと、実は当時の撮影の時に技術がなくて、こういう風にしたかったということがデジタル化によって、逆に実現できたという。新しい作品に生まれ変わっちゃったのかもしれませんね。寺山修司は冥土でどう思っているのでしょうか(笑)。
 
司会:カメラマンの方というのは、「やり直してみよう、今の視点で見てみよう」と思うと、やっぱりだんだん明るく、色がどぎつくなっていくんですね。
 
笹目さん:今日の『さらば箱舟』も、84年の公開の時に映画館で見た時や最近DVDで観た時と比べると、全然色が鮮やかになっている。この間のトークの時も言いましたけど、寺山はどちらかというと『田園に死す』や『草迷宮』は赤という特徴があって、『さらば箱舟』は、僕はブルーといったんだけれども、監督助手だった榎田さんは実はあれはパープルをあてているとか。見た目はちょっとブルーっぽく見えると思いますが。
 
司会:今日、ご覧になった『さらば箱舟』は全体的に色調がブルー調になっていますよね。あれは、実際撮影をした後にフィルムに光を当てて、パープルフラッシングという効果を与えているそうです。全体的にブルーパープルみたいな色調になっていたのは、お分かりになったかと思います。
 
笹目さん:最初ブルーで、次に赤になって黒になったりとか、。細かくシーンごとに変わっているんですよ。原田さんが亡くなった後は黒になっていたので。実はすごく細かいことをしているんですよ。
 
司会:ちなみに、今日初めて『さらば箱舟』をご覧になった方というのは、挙手いただけますでしょうか。どのくらいいらっしゃるのでしょうか。すごい数です。
 
笹目さん:すごいですね。ありがとうございます。
 
司会:ちなみに今回特集した4作品をすべて映画祭でご覧になった方というのはいらっしゃいますか。すごい!ありがとうございます。こんなにたくさんいらっしゃるんですね。やったかいがありましたね。
 
笹目さん:やったかいがありましたね。最初に企画をうかがった時、団塊の世代で当時を懐かしむ方がたくさんいらっしゃるものだと思ったら……。もちろんそういう方もいらっしゃいますが、初見だという方もいる。すごく嬉しいですね。本当に寺山が引き継がれていくというか。僕は寺山ワールドの代表なので、僕が褒めちゃうとあまりよくないんだけど。でも、観直してみてもやはり40年前の作品とは思えないんです。全然古さを感じさせないというところで、寺山修司はよく「生きている」って言われるんですけれど、本当に寺山はスクリーンでずっと生き続けている。寺山修司は映画も撮っていますけど、最後の天井桟敷の活動は演劇中心になっていたので、どうしてもアングラ劇団というイメージがあったんです。実は寺山修司が亡くなってからすぐはこんなに寺山ブームじゃなかったんですよ。没後10年に空前の寺山ブームがきて、93年にすごく出版とかが増えたんですね。そこから全然人気が落ちない。落ちるどころか上がっている。ということで私は年々忙しくなっているんです。
 
司会:映画祭のこの企画が発表された時にも、もちろん団塊世代の方々がビビッドに反応するというのは想定の範囲内だったのですが、意外なことに20代の方からの反響が大きかったのが我々としてもちょっとびっくりでした。確かに、いま20代の方々が寺山の短歌を読んでいたり、出版も熱くブームになっていますし、演劇はもちろんのこと、多方面から新たに寺山を見直そうという見方がどんどん増えてきているのではないかと思います。
 
笹目さん:去年亡くなられた元奥様の九條(今日子)さんと一緒にいろんなところへトークに行きましたが、2005年くらいにちょっと衝撃的なことがありました。若い子たちが来ると必ず「あなた、寺山修司にどこで興味を持ちましたか」って聞くんです。その時に「教科書」って言われたんですよ。2005年なのでもう10年経ちますけど。「えっ!」と思って。だから、実はいま寺山修司を世に伝える宣伝部長は文科省です。ほぼすべての中学・高校の教科書に寺山の俳句・短歌が載っています。正岡子規や与謝野晶子さんとかと寺山は同じなんですよ。ただ、俵万智さんや穂村弘さんも載っていますけど。本当に今、教科書は幅広くなっているんですよ。
 
司会:サラダが好きだっていうのは分かりますけど、これだけ母親を殺しても、教科書に載るのですね。
 
笹目さん:寺山修司というとどうしてもお母さんとの関係が出てくるのですが、最近寺山研究というのは少し進んできていて、お父さんについても分かってきています。寺山が書き残した本には、お父さんがアル中でとんでもないやつだったとあるんですが、実はこれはまったくの嘘なんですよ。お父さんは弘前(青森県)の東奥義塾という私立の名門の弁論部の部長で、「人間と宗教」という論文も書いているんです。「宗教を持たないやつは人間じゃない」みたいなことが最初の1文に書いてある。だから、もしかすると寺山さんはお父さんから文学の才能を受け継いでいたんじゃないかというのが、ここ何年かの研究の新しい事実です。しかもお父さんは警察官で、当時の秩父宮殿下が弘前に駐留した時の警護にあたっているから、その中でもエリートだったんですよ。
 
それから母殺しについて。64に年『田園に死す』という作品の短歌集を発表するんですが、62年に九條今日子と結婚しています。籍を入れたのは62年12月くらい。そこからお母さんと寺山さんの葛藤が始まってきていて。それまでは実はそんなにお母さんを殺してないんですよ。これも今研究を進めていて、64年に寺山さんの作品がガラッと変わって、自分の心情、つまりお母さんとの愛憎がどんどん作品に表れてくる。嘘つきとか虚構の人だというのが寺山のイメージにはすごくありますが、実は素直な人だったのかもしれないです。本当につらい自分の心情が作品に出てきていた。寺山修司脚本・篠田正浩監督の『無頼漢』という映画とか、本当にお母さんを崖から何回も突き落として殺すんだけど、生き返ってくる。すごいですよ。
 
司会:『無頼漢』という作品は篠田正浩監督の1971年の作品なんですが、河竹黙阿弥の『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』という歌舞伎を翻案したものなんです。河内山宗春が出ています。これが、途中から完全に寺山ワールドになっちゃってるんですね。母親を殺す話に。またかという感じなんですが、非常に面白いです。機会があったら是非ご覧いただきたいと思います。ちなみに、蜷川幸雄が俳優で出てきて、面白いです。
 
笹目さん:この間も8月に『青い種子は太陽の中にある』というミュージカルをKAT‐TUNの亀梨さんと上演しまして。ジャニーズ事務所と一緒にお芝居すると、一応5万人くらい動員するんですが、ファンの人たちも結構勉強するんですよ。だから戯曲が1500冊くらい売れるんです。演劇の戯曲集が1500冊売れるとか、ありえないですからね。最初500冊くらいしか刷らないことも多いのに。皆さんやっぱり勉強して観に来ていて、そんな中でファンがまた広がっていけばというのもあったり。寺山修司は入るところが多いので、映像が残っていた、監督をしていたというのはものすごく寺山人気を支えていると思うんです。もちろん寺山修司の映画を100人が観たら100人が大好きってことはない映画です。だけど、本当に好きな人は虜になっちゃう。アバンギャルドで前衛的で、常にひきつける力があるのだと思うんですよ。劇団四季も最初の戯曲を寺山が発表していますからね。『血は立ったまま眠っている』という。
 
司会:前回の『さらば箱舟』の時にゲストで来ていただいた藤田俊太郎さん、新進気鋭の演出家で来年はシアタークリエで『ジャージーボーイズ』をやるという方でが、彼は実のところすごくアングラでアバンギャルドな思考で。寺山が大好きという方でした。
 
笹目さん:彼は東北出身で、若い頃に自分が折れそうになった時、寺山修司の短歌を読んで勇気づけられたと。僕も東京で明日をも知れない生活をしたり、大学も行けずという時に偶然喫茶店で知り合ったおじさんの下の名前がシュウジさんだったので、名前が一緒だから寺山修司の芝居を観に行こうって誘われたんですよ。それが『レミング〜壁抜け男〜』という寺山修司の遺作になった。1982年、19歳の時に観まして、それから寺山修司を追いかけて、30年後になぜかここにいるという。寺山修司は短歌・俳句も全部10代の後半から20代前半に書き上げています。若い時、1歳でも早く寺山修司に出会うというのが、若者たちには非常にいいのではないかと。いいのかどうか、分からないんですけれども。
 
司会:今年はとにかくたくさんの寺山関連イベントがありました。それに加えて、出版や放送、新聞各紙などには毎週毎週寺山に関するコラムが載ったりという1年間でしたね。
 
笹目さん:出版も4月に「寺山修司のラブレター」と「青い種子は太陽のなかにある」そして山田太一さんとの書簡集が出たり。この後CDなども企画されています。それで、さっき話に出ていた歌人の穂村弘さんが「生きている俺たちより、何で死んだ人のほうがこんなに出るんだ」みたいな。それから最近はいろんな人の短歌やエッセイのアンソロジー集、「教科書で出会った名句・名歌300選」とか「人生を変えるときに出会う短歌100選」とかに必ず寺山の短歌が選ばれて、今年だけでも10冊以上出ているんです。そういうヒントになる、自分の言葉というのを早く短歌に残しているというのがすごいですね。また、「寺山修司全歌集」というのが出ていて非常に売れています。あとは「ポケットに名言を」とか。寺山修司はおそらくコピーライターとしての才能がものすごくあるんですよね。キャッチを作るのがものすごくうまい。名言集のような、どこからでも読める本をたくさん編集しているんです。非常に売れています。
 
司会:一番前に座っていらっしゃる方が毎回上映に来ていただいているんですが、是非外国からの視点として一言いただきたいです。寺山修司作品を集中的にご覧になっていかがでしたか?
 
来場者:たった2日間の間に寺山作品を4本も観るというのは、なかなか骨の折れることでした。簡単に観られる映画ではないですから。今まではコンピュータのスクリーンでしか観ていなかったので、こうやって大きなスクリーンで観るというのは全く違う体験をもたらしてくれました。最初に寺山の世界に触れたのはこの『田園に死す』を16歳の時にインターネットで観たのが最初でした。今は22歳です。私は映画に関して全くの素人という訳ではありません。中国で映画祭のプログラマーをしております。そして自分で映画も作っています。そういうわけで、今回寺山作品を観て、物語の語り口に感銘を受けました。ただ直線上に物語を語るのではなくて、その中にいろいろな感情を込めている。中には長すぎる、喋りすぎ、饒舌すぎる……と思うものがないわけではありません。そんな中で『草迷宮』は特に私は好きでした。
 
司会:特に『草迷宮』は映像詩のようなところがありますよね?
 
笹目さん:寺山ワールドが一番凝縮していると言えますね。演劇的、視覚的要素で、惹かれる人が多いのではないかと思います。
 
司会:私は年に一回だけ、ある大学で映画祭とは何かという授業をやっているのですが、そこに中国人の留学生が8人来ているんです。その中の一人に、僕が話をする前から「寺山修司が大好きです」という20歳の女の子がいたんですよ。「えぇ!君は寺山修司をどうやって観ているんだい?どこで観たんだい?」と聞くと、やっぱり彼女と同じでインターネットで観て、非常に衝撃を受けたそうです。「何が君の中で反応したんだい?」と聞いてみると、「やっぱり親と子の関係というのは、中国の中でもとてもよくわかります」と。「親への愛情と憎悪というのは変わらないんだ」と言うんですね。「親が自分を支配している。そこから逃れることは出来ないのではないか……という葛藤というのは、私達もまったく同じです」と言われて、「寺山修司、中国に行く」っていうのは想像もしていなかったと思いました。
 
笹目さん:香港では映画祭を何回もやっているんです。寺山実験映画の中で『青少年のための映画入門』という映画があって。ひどい映画なんですけれど。画像でおしっことかしちゃうんです。あまりにも不道徳すぎるってことで香港の映画祭では上映禁止になったりして。中国返還前のことですね。
 
司会:外国の映画祭関係者に、今年は寺山をやるんだよと言ったところ、「Oh!Jananese Pasolini.」と言ったんです。そうか外国ではこの人、Jananese Pasoliniだって思われているんだと。ピエル・パオロ・パゾリーニという、イタリアの詩人であり映画監督がいます。スキャンダラスな作品を作る監督でした。
 
笹目さん:寺山修司は生きている頃からスキャンダラスな部分がありました。世界中の映画祭で寺山特集は組まれています。寺山の実験映画に『ローラ』という作品があるんですが、これは実際に、客席に座っている人がスクリーンに飛び込んでしまうというもので、そのために特殊スクリーンを作っていて、私も何度も作りました。飛び込む役は寺山の助監督・助手だった人がずっと演じていて、必ずその人が行かなくちゃいけないと決まってるんです。なので、その人は映画の上映のために、世界何十カ国をまわっているんです。75年ぐらいに作った映画なので、40年間飛び込み続けている。しかも特殊スクリーンを作るゴムは現地で調達できないから、必ずスクリーンと自分とで行って、世界中で飛び込んで、映画の中で素っ裸にされて、また出てくるという。そんなウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』の逆バージョンみたいな映画です。
 
寺山は47歳で亡くなっているので、長編が5作品しかないんですが、実は『田園に死す』と『さらば箱舟』はカンヌのコンペの出品作です。作品は少ないけれど、外国での評価は非常に高いんですね。もともと天井桟敷という劇団も、初演はオランダのミクリシアターでやって、ヨーロッパツアーをしていたんです。当時、70年代は、世界の4つの前衛劇団というのが、寺山修司の天井桟敷、タデウシュ・カントールのクリコ2、フランスの太陽劇団のムヌーシュキン、それとロバート・ウィルソン。天井桟敷はこれらの劇団と並んで世界で活躍していて、そこで映画の上映会も一緒にやったりとか、写真も撮ったりとか。日本の評価より世界の評価の方が高かったというのが残っていますね。
 
司会:今後、寺山修司がどんな風に評価され、評価が変わっていくか。これから楽しみなところです。是非皆さんも映画だけではなくて他の、競馬もありますし、ボクシング評論家っていうのもありましたね。多面的な寺山修司を再発見していただければと思います。長きに渡り今回の特集にご協力いただいき、笹目さん、本当にありがとうございました。
 
笹目さん:私が修司さんと会って観た『レミング』というお芝居は、今年の12月に演出を維新派の松本雄吉さんで再演します。私が19歳の時に紀伊国屋ホールでこのお芝居を観て、人生を張り替えたお芝居なので、是非皆さんよろしかったらご覧になっていただければと思います。ありがとうございました。

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