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2015.11.13
[イベントレポート]
「事物がフレームの中でどう見えるかという、映画の最初の感動を我々は失ってきた。だからもう一回、絵画に戻ろうよと。」コンペティション『FOUJITA』-10/26(月):Q&A

FOUJITA

©2015 TIFF

 
10/26(月)コンペティション『FOUJITA』の上映後、小栗康平監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
Q:数年間この『FOUJITA」の企画を手がけられてきたということですが、戦前と戦中、二つの時代を描く二部構成にするというのは最初から決まっていたのでしょうか。このようなかたちに落ち着くまでの経緯を教えていただけますか?
 
小栗康平監督(以下、監督):ご存知のようにフジタは実にたくさんのエピソードを残した、矛盾の多い生き方をした人ですね。それをなぞるようにして映画を作りたくない、とまず思いました。まず日本にあるフジタの絵を見て歩いて、それからフランスに行って。改めてフジタの残した絵の静けさ、というんですかね。それに惹かれて。騒がしいエピソードではなくて、絵の持つ静けさから映画が始まればいいんだと。僕なりの、手ごたえのある始まりです。
 
Q:戦時中というのは必ずしも静かな時代ではなかったと我々は想像してしまいます。監督は「アッツ島玉砕」の絵の中にも静けさを感じられたのでしょうか。
 
監督:そうです。20年代のパリと戦時の日本。戦争中ではありますけれども、空襲の場面もありませんし、兵士を送る場面もありません。どこで戦争が行われているのだろうかと、そう思われるほど静かな農村ですね。20年代のパリで生きているヨーロッパ人のあり方と、明治以降、天皇制の元で、臣民というような近代国家の形を取らざるをえなかった日本社会のあり方。余分なことをせずにこの二つの時代をしっかりと並置すれば、二つの時代、異なる文化の歴史をまたいだフジタが何を手にしたのか、何を引き裂かれたのか。それは自ずとあらわれるという考え方だったでしょうか。
 
Q:オダギリジョーさんのキャスティングは最初から意識されたのですか?
 
監督:最初からです。舞台挨拶を見ても感じられると思いますが。猫か犬かと比べますと、彼は猫タイプですね。ナヨ~っとしてですね。そのナヨ~っとしていた身体の感覚がいいんですね。フジタにもその身体性があって。伝記映画のように、劇の折り目を色々つけて演じていく映画であればオダギリ君ではなかったのかもしれませんけれど。オダギリ君のそうした身体の感覚と、フジタの絵が持ってる、モノに触っているような近い感じですね。それが重なり合うかなと。
 
Q:おかっぱと丸眼鏡であれだけそっくりになってしまうというのは、最初から狙っていたわけではなく、オダギリさんをキャスティングされてから彼の顔も作っていったという感じですか?
 
監督:そうですね。まぁそこそこ、かつらと眼鏡とひげをつければ外見は似るもんだろうと思いますけど。それよりもオダギリ君は中から出てくる何かがあったんじゃないでしょうかね。
 
Q:監督とオダギリさんとの間でフジタに対してどのようなディスカッションが行われたのでしょうか。
 
監督:撮影に入る前は実にいろんなことを話しますね。絵も見てもらったり、打ち合わせをして読み合わせをしたり、フランス語のパートであればフランスの俳優さんと読み合わせをしたり。準備期間には色んなことや話をします。しかしシーンの一つひとつについて、「こう演じてください」「僕はこう演ります」という話は、一度たりともしていません。だから演ってみるまでわからない状態かな。
頭で理解した人がいい芝居をするわけじゃないんですね。この場面のここどういうことを思い描いてるかという、その僕が考えていることと、演じているオダギリ君の頭の中にあること、それぞれがぴったり重なっているかどうかはあまり大きな問題ではないんです。オダギリ君の身体を通して演じるわけで、僕の頭が映るわけではない。そこは距離があっていい部分で、むしろその距離の中で無言のキャッチボールをしている方が撮影は豊かになると思うんですね。
 
Q:映像がすごく絵画的だったというのが心に残っています。撮影で苦労したことはどんなところですか?
 
監督:絵画もそうですけれども、映画はさまざまに先行した芸術の遺産をたくさん引き継いでいるわけです。演劇にしても音楽にしても、小説・文学にしてもですね。そういう豊かさが現代の映画から失われている。それを回復したいとまずは思います。
絵画の方は専門ではないので、あまり生意気なことは言えませんが。例えばテーブルの上に果物があって、それは日常で見るひとコマですよね。それを絵画に、静物画や室内画という風にとらえる。すると全く別の世界が登場するわけじゃないですか。キャンバスというフレームの中に、事物がどう新たに見えたかということを絵画が描いているとすれば、映画も画像でフレームを切り取っているわけですから、出発は一緒なんですね。
絵画と同じように、フレームの中に事物が新たにどう置かれるかが基本です。そして映画はムービーですから、動いた先を追いかける。さらにサイレントからトーキーになり、言葉をしゃべるようになりましたから、今度は言葉が形作る物語を追いかけると。その中で、最初にあったはずのモノがどう見えるかということについて、我々は感動を失ってきた。そこはもう一回絵画に戻ろうよ、と。そういう意味ではフジタの絵画だけではなく、絵画全体に対してのオマージュのように、マネの「笛を吹く少年」とかを、遊びがてら入れさせてもらったということです。
 
Q:芸術家である小栗監督がフジタという芸術家を扱うにあたり、お互いの美学がクラッシュしてしまう、喰い合ってしまう。そういった葛藤のようなものはなかったのでしょうか。
 
監督:日本的な何かを持っていたというのは間違いないですね。私も映画を作る時、日本人とは?日本の文化とは?というようなことは、当然ベースとしてスタートします。日本的なるものを剥き出しにして、外へ、海外へ、異文化に出していっても、必ずしも理解されない。それはフジタが生きていた100年前と比べても、今でもそうだと僕は思うんですね。日本の文化を剥き出しにして海外で評価されるかというと、残念ながらそれは未だにないでしょうね。何かの仕掛けなり仕組みなりがあって、そこは依然としてギャップがあるんだろうと思います。映画を作る上で僕が抱えていることと、フジタが絵を描くときの葛藤。それはモノを作る以上、どこかで外へ出て行こうとすると抱える問題なのではないでしょうか。
 
Q:フランス時代に「フジタナイト」をやった後で、「馬鹿騒ぎをすればするほど、自分に近づいていくような気がする」というようなセリフがあったと思います。フジタはどういう心境で、あの台詞は彼のどういう面を表していたのでしょうか。
 
監督:例に挙げてくださった「フジタナイト」の後のベッドの上でのセリフとか、アッツ島の前で敬礼した後、東京に戻る列車の中でのセリフとか、いくつかフジタ自身の内面を語るというところがありますが、それはとても少ないですね。ですから、観る側からすると感情移入しにくいとか、人物の内面がよく掴めないというような不満が残るんだろうと思います。こういうことを言ってしまうと、どんどんまたお客さんが少なくなっちゃうかなと思って心配ではあるんですが、映画の理解を人物の心理とか心の内とか、そういうパーソナルなものに我々は今求めすぎていないだろうかと、そういう反省があるんですね。近来的な自我というものをあまりにも信頼して、その自我像を描くことが映画であり小説であり、表現であるという風になっている。でも、その近来的な自我とか個人というのがどれほど孤独か、その人に託すだけの深さが果たしてあるのだろうかと考えると、映画にはもっと別な道があるという選択を僕はしたいんです。
 
Q:フジタがキリストの教会で壁面全部をお描きになったというのを聞いています。それは二つの文化の中で葛藤した彼の贖罪だったのか、それとも西洋回帰であったのでしょうか。
 
監督:僕はキリスト教徒ではありませんので、教会をどう捉えるか、それは人によってずいぶん違うだろうと思います。ただ具体的な信仰は何かということよりも、祈りという風に考えれば、映っているものになにか祈る、それが僕は映画の力だと思うんです。人の姿を観る、風景を観る、それがどう映っているかというのを静かに見つめると、もうほとんど祈りに近いんじゃないかって気がするんですね。で、それを待つ。その祈りが現れるまで待つという、そういう映画を目指したいなと思います。

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