10/30(金)ワールド・フォーカス『河』の上映後、ソンタルジャ監督、スン・ヤーリーさん(製作)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
Q:監督はチベットにお住まいですか?
ソンタルジャ監督(以下、監督):はい、この映画の舞台でもある青海省の青海湖の南側、牧草地帯が私の故郷です。チベット族が住んでいるところは大きく3つの地域があります。ラサ付近、四川省、それから私の故郷でもある広東です。
Q:ヤーリーさんのお住まいはアメリカですか?
スン・ヤーリーさん(以下、ヤーリーさん):生まれは香港なのですが、大学はオーストラリアに行き、その後アメリカにもかなり長い期間住みました。映画の仕事をするようになってからはオーストラリア、アメリカ、ヨーロッパ、あちこちに住んでおり、自分でもどこの人間かと言われると、まぁ、地球人でしょうか(笑)。
Q:子役の女の子がすごいです。既にいろんなところで主演女優賞を受賞されていますが、情報を教えていただけますか?
監督:あの子の映画の中の役名であるヤンチェン・ラモは彼女の本名で、実は私の遠い親戚なんです。たまたま北京から故郷に帰った時、久しぶりに彼女に会いまして、彼女に当ててこの映画の脚本を書きました。映画のロケ地の家も、テントも、牧場も全部あの子の家で撮りました。でもドキュメンタリーではありません。
ヤーリーさん:本当にこの子は演技の才能のある子だと思います。この映画が出来上がった時にベルリン国際映画祭のディレクターに観せたんです。翌日彼が言うには、夕べは一晩中彼女の顔が忘れられなかった、と。他の映画祭でも観客、ディレクターたちから必ず彼女について質問されまして、たくさん賞をいただきました。この後も映画祭が控えております。
Q:すでにポスターには映画祭のタイトルが7、8個は入っていますね。これから行くところも入っているんですか?
ヤーリーさん:実はもっともっとあるんです。あまりたくさん書く必要もないかな、と思いまして、載せていません。
Q:アムド(チベット東北部の地域)の映画で女性がこんなに大きく映っているのを観たのは初めてです。これまでのアムドの映画はプロの俳優がおらず、演技経験のない人が出ているのが新鮮でした。そうした傾向は変わっていくのでしょうか。
監督:お母さん役の彼女は非常に有名な、多分チベット族は誰もが知っている歌手です。なので3人の中では一番プロに近い、そういう人です。監督としてはプロの俳優さんと仕事をする方がいいんですが、チベットでは演技の勉強をしたことがある人が少ないことと、役柄に合っている俳優さんを見つけることが難しいので、ペマ・ツェテン(共同プロデューサー)も私もプロではない人の中から選ぶというか、物色することが多いです。次の作品では今の進度から言いますと多分プロの役者を使うのではないかな、と思います。プロでないとしても、多少演技に関わりのあった人になると思います。私の作品をずっと関心を持っていてくださってありがとうございます。
Q:監督がどのようなメッセージをたくしたのか気になっています。映画では修行僧が必ずしも賞賛されていない、ある意味批判的な目で見られていますね。普通は賞賛されるものではないのでしょうか。
監督:確かにチベット文化の中では出家した人間は非常に神聖な存在で、歓迎されないということはないわけです。ただ、歴史的な要因や背景がありまして、文化大革命の時にどうしても還俗しなければいけない事情がおじいさんにはありました。子供の時に出家し、ある時期に還俗せざるをえなくなり、そしてまた出家したということです。息子がお父さんの修行を快く思わないのは、お母さんが亡くなる時「出家したお父さんに会いたい」と言ったのに会ってくれなかったから。だから息子からするとちょっと許せないと。しかし出家した人間からするとそれは誤りではなく、宗教的な理由があるわけです。河のこちら側とあちら側の両方に足を踏み入れている、そういう存在です。それぞれの役にはそれぞれの立場があり、誰が悪いのでもないということです。なので、ラストシーンの受け止め方は、いろんな受け止め方があっていいと思います。私自身は、映画は答えが必要なものではないと思います。映画は疑問というか、提案をするものだと思います。最後のシーンの「河」をどう受け止めるか、というのも観た人それぞれの受け止め方があると思います。河は氷が張ることもあれば、それが解けることもあるということです。
Q:全編を通してバイクが出てきますが、一度も給油するシーンがありません。そのシーンは撮影されなかったんでしょうか?
監督:この映画の中で、ご飯を食べるシーンもお手洗いに行くシーンもないのと同じだと思います。
Q:監督はバイクに乗るんですか?
監督:若い時、かなり夢中になっていました。
Q:故郷であの子を見たことで映画を撮ったということですが、どういう気持ちで彼女の話を撮ろうと思ったんですか?自分の過去を撮ろうとしたのですか?
監督:いろんな理由がありますが、簡単に答えます。一つ目は、ちょうど私の二人目の子供ができた時で、一人目の子供にとっては、自分への愛が二人目へ移ってしまうんじゃないかという気持ちになるのではと思い、それを撮ってみたいと思ったんです。二つ目は、彼女の外見に惹きつけられて、しばらく彼女と遊んでみると、潜在的な演技の能力があると感じたからです。それとこの河ですね。河があったからです。
Q:タイトルの『河』にはやはり何か意味があるのでしょうか?
監督:評論家の人たちにも、河が全然見えないのになんで『河』なんだと言われたこともあります。河というのは、例えば親子であるとか、宗教や俗世の人たちの間の関係などにも、形のない河がある、そう意味もあると思います。四季折々というような意味も河にはあると思います。
Q:最後に一言お願いします。
監督:東京国際映画祭でのスクリーニングが終わり、私の任務も終わりました。本当に嬉しく思っています。ずっと日本で上映したいと思っていて、最初の作品の上映の時は私が来られなかったので、今回こうして作品と一緒に来ることができて嬉しいです。もしチベットの映画に興味があり、ご縁がありましたら、次の機会にお会いしましょう。
ヤーリーさん:本当に監督の言うとおりだと思います。縁があって、この映画を通じて皆さんと交流できたことを嬉しく思います。将来チベット語の映画がまた東京に来ることがあって、皆さんとお会いすることが出来ればとても嬉しいです。映画は人と人、文化と文化の一番いい交流の方法だと思っています。お互いを理解し、お互いを許容し合える、そういうものだと思っています。