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2015.11.13
[イベントレポート]
「同じような生活が徹底的に繰り返されることで、人間の生活の奥底にある感情だとか、真実みたいなものが見えてくるんじゃないか」日本映画スプラッシュ『七日』-10/28(水):Q&A

七日

左から 渡辺雄司さん(製作/音楽監督)、渡辺紘文監督、方又玹さん(撮影監督)©2015 TIFF

 
10/28(水)日本映画スプラッシュ『七日』の上映後、渡辺紘文監督、渡辺雄司さん(製作/音楽監督)、方又玹さん(撮影監督)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
 
渡辺紘文監督(以下、監督):今日は朝早い時間から映画『七日』をご覧いただき誠にありがとうございます。こういう作品ですので、どれだけの人に観ていただけるのか、僕はとても不安な気持ちだったのですが、映画を最後まで観ていただき、皆さんに残っていただけることは本当に嬉しいです。
 
渡辺雄司さん:皆さん朝早くからお越しいただきましてありがとうございます。このような機会でお披露目する機会ができて本当に嬉しく思っております。
 
方又玹さん(以下、方さん):今日は観に来ていただいて本当にありがとうございます。意見や質問がありましたらお願いします。
 
Q:前作『そして泥船はゆく』の後に次の作品の構想がすぐあったのか、あるいは方向性については若干模索された時期があったのか、この『七日』にいたるまでのプロセス、考え方を含めて教えていただけますか。
 
監督:まず『そして泥船がゆく』を東京国際映画祭で上映していただいたんですが、その時のQ&Aでおそらく「僕はこれから喜劇映画を作り続けていきます」「僕はコメディ作家だ」というようなことを言った気がします。でも実際はシナリオをその後何本か書いても、自分の中で『泥船』から新しい喜劇を作る方向に踏み出すのにどうも納得のいかない部分があって、行き詰まってしまった時期があったんです。僕の映画は人間の生活というものを基本に置いて、そこから喜劇性なら喜劇性、社会性なら社会性というものを導き出していく。それで、どういうもの作ろうかと考えた時に、今回の『七日』という、本当に生活のみに突出したというか、そこに全身全霊をこめた映画にたどりついたという経緯があります。
 
Q:自分が主演というのはどの段階で決まったのでしょうか?
 
監督:これもかなり紆余曲折があったのですが、自分たちの映画製作団体はものすごく小さくて、もちろん後ろ盾もなければ予算もないという段階で作ってます。なので『泥船』と同じやり方は成り立たないということが一つありまして。僕の目的というのは『七日』という映画を作ったらそれで終わりじゃなくて、その後も次々と作り続けていかないといけないし、それだけ作りたいものがたくさんある。なので、一度挑戦的なチャレンジとして、自分主演というものを罵倒されればと。文句も言われようが、そういう覚悟の上で一回挑戦してみようということで、それでまず自分をキャスティングしたというのがあります。
 
Q:一つの決意表明みたいな思いでいるということでしょうか?
 
監督:そうですね。はい。
 
Q:雄司さんは共同制作というか、一緒に作ってこられているわけですが、監督とはどのようにディスカッションをされましたか?
 
渡辺雄司さん:僕たちは普段の会話から本当に映画の話ばかりなので、散歩しながらでも常に、この映画はああいうところが好きだとか、こういうのがあるのが面白いとか。製作国がどことか関係なく全ての映画を観て、こういう考えはいいなとか。作品を作るような話し合いというよりは、普段から話していることをそのまま映画にしてしまうような。本当に自然に作っちゃう感じだと思います。
 
Q:映画のコンセプトや監督主演ということについては衝突はなかったんでしょうか。
 
監督:どういう作品を作るかということについては対立はないわけですが、今回僕が出ると決めた時は雄司のみならず、方又玹も「大丈夫なのか」という前作以上の不安がありまして。まず第一にお客さんが絶対入らないだろうと、誰がお前を観たいんだということがありました。実際その名残りとして、この映画はバックショットが非常に多いと思うんですが、方又玹が「やっぱりお前の顔は映す顔じゃないよ」とか「そんなことはないよ、俺の顔も映せよ!」みたいな、いろんな議論やぶつかりがありました。
 
Q:監督はすごく画面に映えるというか、フォトジェニックというか、ある意味すごく映画に対してのすわりがいいと思うんですけど、方さんは最初に企画の話を聞いた時はいかがでしたか?
 
方さん:正面から映すとこはちょっと危ないんじゃないかと思ったんですけど、基本的にはあんまりないです。そういう演出だったし。
 
Q:『泥船』に引き続きモノクロにするというのは最初から?それは監督ではなく方さんの決断ですか?
 
方さん:そうですね。
 
監督:この映画はこういう話だ、というのをまず又玹に伝えて、じゃあどういう画でいこうかということを話して、前回の『そして泥船はゆく』の時もそうだったんですが、一つは自分たちが思うような色彩はなかなか出しづらいというのがまずあるというのと、この『七日』という作品は結局、色彩を画に持たせてしまうと、色があまりに余計なことを説明しすぎてしまうということがありまして。又玹と一緒に今回も、かなり変えてはいるのですが、白黒でいくということは決めました。
 
Q:監督の映画は初めてですが、弁士のいない無声映画のよう感じました。音楽とか風の音とか虫の音とか、そういうものが弁士のように映画を飾っているように思えました。
 
監督:今回の映画は台詞が無いので、自然な音とか音楽とか含めて、そちらにかなり雄弁に語らせないといけないということで、徹底的に演出してあります。自分としては細部まで演出しているつもりです。なので、そこまで耳を傾けて画面に対峙していただくというのは、創作者冥利につきますというか、本当に理解して観ていただいたのだなということで嬉しいです。
 
Q:劇中で出てくる歌の「サラバンサラバン」は、どこの歌でどういう意味なのですか?
 
渡辺雄司さん:一応歌っているのはアイヌの民謡なんですね。ただ僕としては、これは前回の『泥船』のころから話さないといけないんですが。僕は西洋音楽をずっと勉強してきたので、西洋音楽がかっこいいという意識があるんです。ロックにしろベートーベンにしろ。例えば海外のサイレント映画のように、なんでもいいんですけど、例えばチャップリンとかそういうのは、僕からするとすごく西洋的なオペラチックな感じです。今回、日本の映画で生活をただ映すサイレント映画をやる時に、自分の中で今まで好きじゃなかった演歌とか、昔の日本の音楽をすごくちゃんと聴いてみて、すると日本の音楽というのは、自分がいくら否定たりしても、祭囃子とかを聞いて血が騒ぐみたいな、それは否定できないと思って、本当にこだわって音楽の演出はしたつもりです。
あと「さらば」の意味ですが、「さらば」は日本語だと「さようなら」、韓国語だと「生きろ」という意味になるらしいんですよ。だから僕としては、あそこの歌に対して言葉の意味はつけてないんです。ベートーベンなんかも言っているのですが、音楽というのは知恵や哲学よりも高度な啓示であるということ。音楽そのものを聴いていただいて、あの男の生活に合わせた音楽を書くように努めたつもりです。
 
Q:繰り返し流れる主旋律はどちらかというと西洋音楽寄りだと思います。そこは両者を用いようという考えが表れたのでしょうか。
 
渡辺雄司さん:前回は本当に西洋的なメロディーを考えました。ピアノで作れば十二音階あるような。今回の歌はもう自然に思いついて、散歩中に鼻歌で歌えるような、言ってしまえば誰でも歌えるような曲を考えたんですね。「あいや~~」っていう日本の音楽は、僕はいい意味で抑揚が無いと思っているんで、メロディーには表せないんですよ。だからピアノではなかなか弾けないという音楽をすごく強調している。ただ西洋的な書き方が残っているとすると、僕はやっぱり西洋の、特にクラシックの作曲家とかオーケストレーションの影響を受けていますので、そこはたぶん西洋的だと思っています。
 
Q:監督自身の生活は映画にどの程度反映されていますか?
 
監督:僕は農業とか一切やっていない人間なので、自伝的な要素を入れ込んだ作品と言われるとちょっと。まぁおばあちゃんとの生活という部分では自分の生活に近い部分もあるのですが。僕が興味を持つ人間の生活の一つに、人間と別の生命との関わりみたいなものがありまして、彼の労働に関しては、今回は牛飼いというかたちになりました。
 
Q:この映画を観ている方はだんだんと反復にはまっていくというか、それに引き込まれていきました。反復の部分にしろ、他の考え方や描き方にしろ、監督がインスパイアされたものは何かありますか?
 
監督:今回の最大の演出意図というか、この映画で一番賛否両論を呼ぶところですよね、同じような生活が徹底的に繰り返されるという。それは僕が撮影のはじめから、「こういうことをすることによってこういう答えが出るんだ」というのを考えていたというよりも、自分の中の挑戦として、こういう映画表現をしたら、何か人間の生活の奥底にある感情だとか、真実みたいなものが見えてくるんじゃないかと。だから答えを最初から持って作ったというよりもむしろ、自分が何か答えに近いものを見るために挑戦したというのが大きな理由としてあります。
 
Q:家を出て新聞をとってまた戻ってくるとか、歯磨きの時間とか、それが毎日少しずつ長かったり短かったり。反復の中でほんの少しの違いみたいなものがありあます。編集をしながらどのような発見がありましたか?
 
監督:この映画を完成させて、自分が求めていた答えが出たというよりも、自分の中では新たな課題が出たなという方が正直なところです。人間の生活というものをまるまる掴みとって、それを映画に落とし込むんだという考えで僕は今回の映画に臨んだわけですけれども。やっぱり生活を徹底的に描くということは途方もない作業だなと。むしろ僕はその新たな課題が見つかって、次に作る作品にまた疑問を持って挑んでいくしかないなと、そういう風に思っているというのが正直なところです。
 
Q:ロケ現場はどちらですか?
 
監督:栃木です。
 
Q:あのおばあちゃんにはどういう演技プランがあったのでしょうか。少し失礼な質問ですが、おばあちゃんは映画に出演されていることを自覚されていたんでしょうか?
 
監督:実は『そして泥船はゆく』にもあのおばあちゃんは出演してまして、僕たちのおばあちゃんなんですけど、その時は96歳でした。「おばあちゃんこれから映画撮るから映るよ」と言うと「あぁ、好きにしな」みたいな感じで撮っていて。で、『泥船』がデイサービスとかいろんなところで上映されているもんですから「おばあちゃん女優さんだね」みたいに周りがもてはやすんですよ。今回はなまじ1本撮っているだけに「おばあちゃんこれから映画撮るよ」って言うと、「私は女優だからやりなさい」みたいな、女優だと自覚し始めてまして、恐ろしいことにですね。ただ、演技プランは立てられないですね、おばあちゃんは。立てられないよね。
 
渡辺雄司さん:立てられない。
 
監督:そうなんです。座ってて「今からご飯食べるシーン撮るからね」って言うと「おばあちゃんはもうお腹いっぱいだから」みたいなことが起きるわけですよ。そういう感じで自由なんです、おばあちゃんは常に。
 
Q:監督は割と規則正しい生活者の役で、梅干を食べるシーンではちゃんと箸を逆さにしてつまむんですが、おばあちゃんはそのまま直箸するんですよね。あれは完全なアドリブなのでしょうか。
 
監督:自分でも自覚がないくらい自然にやってるところがあったりします。正直僕も役者経験なんか本当にないもんですから、僕が一生懸命やってても、おばあちゃんの方にはあんまり気がまわっていないかもしれないです。ただ自然な雰囲気をとにかく出そうというところで映画を作っていますので、食事するシーンは「じゃあおばあちゃんいつも通り食事しようね」みたいなところで始めてたりします。
 
Q:ものすごく自然でしたが、ドキュメンタリーなんですか?
 
監督:結構ドキュメンタリーなのかと言われるんですけど、違いますね。完全な劇映画として作るというのは最初から決めていました。
 
Q:監督はタルコフスキーやタル・ベーラなどの作品をイメージしましたか?
 
監督:正直完成してからそういう作品だと言われるんじゃないかな、というのはありました。まぁタルコフスキー監督とは思わなかったですが、タル・ベーラとか、実際に観た方の中では、小林政広監督の『愛の予感』を想起したとか、新藤兼人監督の『裸の島』を思い浮かべたという方もいたんですが、僕は今回の映画に関しては特に偉大な監督さんから大きなインスピレーションを受けてやるというのはそこまで大きな意識はしていません。とにかく自分の思い描く生活というのを徹底的に描こうという。むしろ(偉大な監督達の)名前が出ることは恐れ多いことなんで、光栄に思うというか、震え上がる思いです。
 
Q:カメラは何を使いましたか?また移動ショット等をどうやって撮ったのか教えてください。
 
方さん:カメラはCANONの一眼レフのセブンデイというモデルで、レンズは標準とワイドと望遠の3本のズームレンズを使いました。あと小型カメラにつける、ステディカムで撮りました。
 
Q:撮影するのにどれくらいの期間がかかりましたか?
 
監督:撮影期間は約2週間ですね。1週間の話なのですが、2週間かけて撮影しました。
 
Q:実際に、主役を演じながら演出することの難しさはどんなところですか。
 
監督:最初は途方もなく難しいことだろうと思ってやっていたのですが、僕たちは少人数でやる映画製作集団なので、今回もメインスタッフは3人で、あとは僕のお父さん、お母さんが手伝ってくれたというような作品です。なので芝居を演じるにあたって変なプレッシャーがかかってくることはありませんでした。ただ、難しかったのは演出的な狙いとして、人間の生活の奥底にあるものを、映画として伝わるものが撮れるだろうかというところです。それが伝わったかは観ていたお客様が決めることなので、伝わっていれば嬉しいです。
 
Q:ご自分、おばあちゃん、牛という3人をメインキャラクターにしようと思った理由や意図はありますか?
 
監督:今回の映画は他のキャラクターをあまり出したくなった。むしろ、この3人以外にキャラクターがいるとすれば、お客様がおっしゃっていたような自然の風景といったものです。僕は風景の中に無数の生命体がうごめいていると思うんですね。虫の声だとか、小鳥のさえずりだとか、蛙の声だとか。全て含めて登場人物であると思っています。
 
Q:監督が壁に卵を投げて一人キャッチボールをするシーン、こんな激しい孤独はちょっとないなというくらい衝撃的でした。あのシーンは最初から脚本にあったのでしょうか。
 
監督:あのシーンを入れようというのは決めていました。もちろん壁当てをしているということで、人物のある種の孤独感と生活というものを見せるという演出意図はあったのですが、むしろ僕も実生活でやっているので、孤独な人間なのです。もしあそこで何か人間の悲しみだとか孤独のようなものを感じてくれたら、嬉しいなと思います。
 
Q:最後に一言ずつお願いします。
 
方さん:まだまだ足りない部分が多いので、いい映画を作るために努力します。
 
渡辺雄司さん:今後も映画の勉強について、精進していくつもりです。この映画は言葉がない分、自分で考えていただく時間を持ってもらえると良いと思います。映画はもともと自分一人で考える時間が絶対必要なので、そういうことを考えるきっかけになればいいなと思いました。
 
監督:僕たちは2年前に『そして泥船はゆく』という映画を作ってこの場所に帰ってきたんですが、実は僕たちの映画を発見してくださったのはこの東京国際映画祭が最初だったんです。東京国際映画祭に来てくださるようなお客様に出会って、本当に心から感謝しています。再びこの素晴らしい場所に戻って来られるよう、さらに努力を重ねて頑張っていきます。どうか厳しく、温かい目でこれからも見守っていただければ嬉しいなと思います。今日は本当にありがとうございました。

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