10/28(水)アジアの未来『告別』の上映後、チャオ・イエンミンさん(ライン・プロデューサー)をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
チャオ・イエンミンさん(以下、チャオさん):今回東京国際映画祭に参加できたことを大変嬉しく思っております。監督が来れないことが残念ですが、メッセージを預かって参りました。この作品は私達の卒業制作の作品です。東京国際映画祭にご招待いただいき、皆さんに観ていただけるのは本当に光栄なことです。ありがとうございます。
Q:北京電影学院という名門の映画大学の卒業制作ということで、これはチャオさんも含めたグループで作った卒業制作ということなんですね。他のスタッフも学生ということでしょうか?
チャオさん:まず監督についてご紹介させて頂きたいと思います。デグナー監督は、昨年北京電影学院大学院を卒業されていますが、私は監督と同期で映画管理、プロデュースをしました。私と監督の他にも、美術、録音、撮影全て北京電影学院の学生達で行ったものです。今年の5月に完成したばかりの、私たち若い学生の力を結集して完成させた作品です。モンゴル族の映画なので、主要スタッフの中で美術、録音はモンゴルの出身者、そして面白いのはカメラマン以外は全て女性で固めました。
Q:主役のお二人と監督とのかかわりについてお聞かせください。
チャオさん:監督のお父様は元々モンゴル撮影所の所長だったんです。中国では有名なサイフ監督です。その奥様マイリースさんも有名なモンゴル人監督でいらっしゃいます。このお二人はよく共同監督として、2000年前後にモンゴル人をテーマにした素晴らしい作品を撮ってこられました。特に優れているのは馬のアクションシーンが素晴らしい点ですね。この二人の監督は独特のスタイルがありました。そのお二人を演じた、お父さん役のトゥメンさん、お母さん役のアリアさんは、ともに中国のTV、映画業界ではとても有名な方です。そんなベテランのお二人に出演していただき、力を貸していただきました。
Q:中国における内モンゴルの方々の境遇をうかがいました。映画の中でお母さんがチンギス・ハンの写真を家に飾っていましたが、モンゴルでは本当にあるんですか?それから、1996年の馬の映画の詳しい概要を教えてください。
チャオさん:私もモンゴル族なのですが、チンギス・ハンはモンゴル族にとって聖なる主、神のような存在です。仏教徒が仏様をお参りするのと同じように、チンギス・ハンの写真が家の中に飾られているのは普通のことでした。1980年以降に生まれた若い世代の家では、そういうことはほとんどありませんが、50代からおばあちゃんの世代の家では普通のことです。
そして2つ目のご質問にありました「非情のブルック」という映画について。これは90年代に撮影された映画です。実は私たちのような若い世代は詳しいストーリーについては知らないのですが、当時の撮影の状況の中では特徴のある作品だったと聞いております。今でしたら特撮の部分はコンピューターで処理してしまうと思いますが、馬のアクションシーンは全て実写で撮影していました。危険なアクションシーンでもスタントを使わず、全て俳優たち本人が演じていました。それが評価され、中国の権威ある映画賞で、本来なら俳優個人に贈られる賞が、このアクションシーンを演じた俳優グループに贈られました。私たちモンゴル族という少数民族の映画の中でとても誇りに思う点です。
Q:監督のお父様が所長をしていた撮影所は今も活発に活動されているんでしょうか。
チャオさん:中国ではかつて、全ての映画製作所が国有でした。その後、国有から市場経済の企業となる転換期に、サイフ監督は所長をしていました。サイフ監督たちが若い世代の時は、今のように興行面での成績やお客さんの好みをほとんど考えることなく、自分の撮りたいもの、芸術性をひたすら追求して映画を撮ることができたわけなんです。しかし企業形態に生まれ変わりますと、大衆に受け入れられるような、娯楽的要素を強く盛り込んでいかなければならなくなりました。そして様々な困難に見舞われていくわけです。かつての内モンゴル撮影所は内モンゴル映画集団となり、企業化されていきました。この内モンゴル映画集団を管轄しているのは内モンゴル政府の宣伝部なんです。内モンゴル映画集団でも映画製作はされてはいるのですが、内モンゴル映画撮影所で撮影された映画はなかなかメジャーの中には入っていけない状況です。そして映画館ではほとんど上映されることがなくなってしまいました。中国にはまだアートシアターというものはなく、メジャーの中に入っていかなければ、公開されるチャンスはないんです。そういう競争の激しい中で、自らの立ち居地を見つけられなくなってしまったのが現状です。2000年の体制改革以降の大きな問題というのは、そういうところにあると思います。そしてフィルムからデジタル化されたというのも大きな理由です。民間企業がどんどん生まれてきて、かつては国有だったところが減ってきてしまっています。このような状況で中国映画の主流に位置するというのはなかなか難しいことで、今、内モンゴルの映画集団で撮っているのは、例えばモンゴル民族の文化遺産を残すような作品とか芸術性の高いもの、演劇などの文化的な作品しか撮られていないので、娯楽映画・商業映画というのは今のところ存在していません。
Q:今回の映画は卒業制作であり、自伝的な内容だったんですけれども、監督は次回どういう作品を撮ろうとしてらっしゃるか、ご存知でしたら教えてください。
チャオさん:私と監督は大学院で三年間ずっと一緒にいたので、そういう話をする機会がありました。中国では若い監督がどういうふうに生き延びていくかというのが非情に難しい状態です。あくまでも芸術性を追求していきたいのですけれど、そうすると生き残る術がなくなります。芸術性を追求しつつもちゃんとご飯が食べていけるような、そういう道を見つけないといけないわけです。その中で自分の撮りたい、自分らしい映画を撮って行けるのかということ。中国の若い監督はそういう課題に直面していると思います。今、監督は次にどういう作品を作るかという具体的なものはないのではないかと思います。今回、監督はお子さんを産んだ関係でこられなかったのですが、家庭のことが忙しくて、将来のことを具体的に考えている場合ではない雰囲気です。ただ、これから機会があればジャンル映画を撮ることもあるでしょうし、女性監督として本領を発揮していくだろうと私は思っています。そしてなぜ今卒業制作としてこのテーマで撮ったかといいますと、北京電影学院の青年映画撮影所と一緒に作ったことで大きな協力を得られ、また同級生も沢山いたので、いろいろ力を貸してくれました。撮影機材やスタジオの使用などに融通が利きました。まったく商業面のことを考えず自由にやれたんです。今後はそこまで自由に映画製作ができないと監督も考え、今自分が撮りたいもの、お父さんを題材にした作品を撮っておかなくてはならない、と考えたんです。だからこの映画は自由に撮ることが出来ました。
Q:この日本での盛り上がりを監督にも伝えてください。最後に一言お願いします。
チャオさん:ありがとうございます。今回上映していただいてとても嬉しいです。日本の皆さんは映画鑑賞のレベルが高いと思いました。日本ではアートフィルムのマーケットはずっと存続できると思います。今回皆さんからいただいたご感想の数々は必ず監督に伝えます。きっと喜ばれると思います。どうもありがとうございました。