10/28(水)ワールド・フォーカス『ジャイ・ホー~A.R.ラフマーンの音世界』の上映後、ウメーシュ・アグルワール監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
ウメーシュ・アグルワール監督(以下、監督):実は今日、A.R.ラフマーンさんからのメッセージを持ってきました。「今回TIFFに選ばれて上映されたことをとても名誉に思います。日本の皆様の前でLIVEで演奏する日を楽しみにしています。なるべく早く実現できるといいんですけけれど。」とのことです。
Q:このドキュメンタリーが企画された経緯や、どれくらいご本人と一緒の期間があったのかをお聞かせください。
監督:ラフマーンさんがアカデミー賞を受賞された時、世界中に彼のことが知れ渡り、インド国内でも盛り上がりました。それと同時に、彼が9歳の頃お父様を亡くされて、高校にも通えず、家族を養うためにこの業界に入ったということを知って、オスカーをとったことよりも彼が努力を重ねてここまで来たという背景に驚かされたんです。是非、彼を映画化したいと思いました。
また、2012年にインド政府の広報担当といいますか、外に向けて発信する省庁がありまして、公共の助成金でインドを代表する人の映画を撮るという動きがありました。そこで、私の方からラフマーンさんはどうでしょう?と提案したのです。当初はあまり政府側の反応は良くありませんでした。ラフマーンさんはシャイでインタビューも滅多に受けないということで知られていたので、果たして可能なのかという懸念がされていたんですね。しかし、やらずして諦めることはないということで、私はやるだけやってみます!とトライしました。私は正しかったです。実に良い映画が撮れました。
Q:実際にラフマーンさんにオファーをした時に「僕にはできない」という話はあったんですか?
監督:実はラフマーンさんにたどり着くまで4ヶ月かかりました。会えることも無く、連絡をお待ちしていたんです。ラフマーンさんは夜、夜行性的に録音をするということを聞きました。ある時、もしかしたら夜中の2時30分頃に連絡が来るかもしれないという話があり、その日は5時まで起きていましたが結局連絡はこなかったりと、そうこうしているうちに3ヶ月が過ぎました。それでかなり落ち込んでしまっている時に、私の兄弟が心配してくれて、事情を話したらチェンナイに行きなさいと。そこで「あなたから答えをもらうまでは動かない」という風にやってみたらと言われて、実行することにしました。
ラフマーンさんのオフィスに入る前、映画に出てくる彼のお姉さんに会うことができました。私の企画を話したら、彼が合意するかは分からないけど今夜会えるようにするわ、と。それで、実際に夜遅くお会いすることができて、5分で合意を得られたんです。本当に私は顔をつねりましたね。なんだかんだで足かけ8ヶ月連絡がつかなかったことが、5分でかたがついたんです。
Q:制作を通じてライフマーンさんのイメージは変わりましたか?
監督:本当に世界中で人気を博しているVIPなので、最初は難しい方かなと思っていました。しかし接してみると、彼は非常に気持ちが綺麗で、精神世界に生きている方だと分かりました。撮影に合意をいただいてから「これから2ヶ月僕は忙しくなるので、今のうちに他の方へのインタビュー等をされてはいかがですか?とおっしゃってくださったり。また、ある時は、L.A.に滞在中のところを撮りに来てくださいと。彼は夜中に仕事をしていますから、朝6時~11時まではなんとなくゆったりしていて、その後お休みになるということで、私たちは5時45分には毎日スタンバイしていました。そうするとラフマーンさんがご自身でドアを開けて私たちを向かえてくださるんです。すごい経験でしたね。
Q:1年間、音楽がヒットし続けているということに驚いています。1年間ずっとヒットチャートに入っているんですか?
監督:新しいアルバムをラフマーンさんがリリースすると、最初はあまり評判が良くないのですが、6ヶ月くらい経つと皆さんいつの間にか歌ってしまって、1年後にはチャートのトップ入りをするんです。1年間ずっと続けてトップにいるというわけではなく、良さが浸透して定着するのに4、5ヶ月はかかって、その後チャートに入るので、息が長いということです。それから分析的に言えることは、彼の音楽はパターンがないというか、いわいる定説的な音楽のつくりではないので、最初はなかなか受け入れられない。けれども、一度魅了されるとハマるという感じだと思います。
Q:タイトルになっている「ジャイ・ホー」とはどういう意味なんですか?
監督:ジェイ・ホーというのは、直訳するとヴィクトリー、勝利という意味です。「ジャイ・ホー」はヒット曲なので、ラフマーンとセットで思い浮かべる方が多いと思います。そして、もう一つは彼自身の環境のことです。困難な出だしを乗り越えて勝者になったということからタイトルにつけました。プロとしての彼のキャリアと、個人としての彼の人生を振り返るという、その二つを並行して行っているんです。
Q:彼のお父さんも音楽の仕事のプロフェッショナルでした。インドで音楽はどういうところから吸収しているのでしょうか。普段何か聴いている音楽はあるのでしょうか。
監督:ラフマーンさんは本当にいろいろな音楽を聴いていらして、全てのジャンルを聴いているかもしれません。音楽的知識も豊富で、作曲の際にもいろんなジャンルの音楽を取り入れています。彼が映画を観るときは音をミュートするんです。台詞は字幕で読んで、音楽は自分で何が向いているか想像するそうです。それから技術面でも、そのジャンルの最高というミュージシャンを起用するようにしています。そのスタイルの専門家が聴いてもおかしくないようにすること、そして関わった人をちゃんとクレジットして認識されるようにすることを心がけていますね。まさにチームワークによって曲が出来ていると言ってもおかしくないです。
Q:インタビューは英語でされていましたが、言語は英語でというリクエストがあったんですか?
監督:インドの広報も兼ねているので、外に出ることを想定して主言語を英語にしました。ただ、ラフマーンさんのお母さんはカビル語しかお話にならないので、その部分はカビル語にしています。他の方に関しては英語かヒンドゥー語のどちらか選んでくださいとお伝えしたんですが、作詞家のグルザールさんは英語で話してしまうと元々の言葉がもつ美しさがなくなってしまうので、要所で融通をきかせてあります。
Q:奥様やお子様の話がところどころ出てきますが、奥様へのインタビューは検討されなかったのでしょうか。それとも、撮影時の条件として実現できなかったのでしょうか。
監督:奥様もラフマーンさん同様、とてもシャイな方なので、ラフマーンさんが答えてくださっただけでもラッキーです。しかし、奥様のほうはここではラッキーとはいきませんでした。
Q:ロスとインドに家があるそうですが、ご家族は基本的にインドにいるのですか?
監督:チェンナイがもともとご家族のスペースであり、ラフマーンさんもほとんどチェンナイにいます。L.A.で仕事している時もご家族はチェンナイにいらっしゃるそうです。休暇のときは彼に合流するようですね。
Q:ラフマーンさんもお母さんも、改宗したことが人生や仕事で重要だったと言っていました。監督は具体的にどのような影響が大きく出ていると思いますか?
監督:もともとこの家族はヒンドゥー教徒でした。話にありますように、お父様が若くして病気になられて、原因も不明なまま亡くなってしまわれたので、ご家族は路頭に迷いそうになりました。ラフマーンさんのお母さんが非常に信心深いのですが、こうした経験によって宗教に迷いが生じてしまい、いろいろと経た結果、心の平静を保てるのはイスラム教ではないかということで、まずお母さんが改宗されたんです。
精神世界や宗教というものは個人的な意味を持つもので、実は彼は1日に5回イスラム教徒としてお祈りをしているんです。彼が言うには、お祈りをすることによって自分の内面を見つめ、何か問題にぶちあたったときに乗り越える力を得てるということです。2年間彼に接していて、本当に心の綺麗な、精神性に溢れた方なんだなということ、そしてそれが個人に対しても音楽に対しても影響を及ぼしているということを感じました。
Q:各業界の方へのインタビューや、映画のフィルムを使うことに関して困難はありましたか?
監督:インタビューをお願いしたい方には全員にアプローチをして、場合によっては難しいということもありました。ラフマーンさんのオフィス経由で、オフィシャルで認めているドキュメンタリーであると口添えいただいたことが非常に助けになりました。映画の権利は様々なところに属しているわけですが、彼がこの業界で尊敬されているということがやはり大きな助けとなりました。困難もありましたが、使いたいものは全て使うことができました。
Q:編集にはどれくら時間がかかりましたか?
監督:今回は本当に編集をするのが難しかった作品です。6バージョン重ねて、それでもまだ気に入らないということで、完成まで1年かかりました。
Q:撮影のあいだ苦労したことがあれば教えていただきたいです。
監督:撮影も1年以上かかりましたね。是非お伝えしたいのが、撮影地であるアメリカ、イギリス、インドのチェンナイ、ムンバイ、どの地域でも違うクルーを使っています。
移動のお金を節約するということもありますが、例えばL.A.にはアヌ・グンという撮影監督さんがいらっしゃって、その方はいつもラフマーンさんが映画でも起用されている方です。ラフマーンさんはとてもシャイな方なので、ただ演じるということをして欲しくなかったんですね。自分の気持ちを心身ともに落ち着いて語ってほしかったので、クルーの数は最小にしました。例えばラフマーンさんがよく知っているカメラマンと、私、そしてもう一人、それだけです。ロンドンや他の地域でも同じでした。慣れている方、顔なじみの方を使ったりしました。ポストプロダクションもいろんな方の協力を得て、まさにチームワークでしたね。音のデザインに関してはラフマーンさんはもちろんこだわりがあるので、この作品に落ち度があってはとんでもないと、彼のスタジオで、インタビューにもあったシク教徒の男性がいつも起用しているサウンドエンジニアに担当していただきました。
Q:ラフマーンさんの音楽家としての成功はインドの音楽界にどんな影響をもたらしましたか?
監督:とても功績は大きいと思いますね。彼以前と彼以後の音楽は違うものになりました。そして彼によって新しい作曲家が活動しやすくなりました。そういう土壌を築かれたと思います。それまではある意味古典的であったり、人々がなじみにくいこともあったりしたかもしれません。彼の作品はこだわりのある人も、あるいは非常に大衆的な人も両方にアクセスできます。インドのポピュラーフィルムの音楽が世界中の人に届くようになったのも彼の功績だと思います。映画のみならず、音楽そのものとインドの世界に大きな功績をもたらしたと思います。