10/25(日)ワールド・フォーカス『錯乱』の上映後、エミン・アルペル監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
Q:映画の中では、現実なのか悪夢なのかという場面が交互に出てきます。”Frenzy”というタイトルにはどんな想いをのせたのでしょうか。
エミン・アルペル監督(以下、監督):二人の兄弟が狂気に陥ってしまうような作品で、最後のところでガーナは自分を見失ってしまうような状態になるので、”Frenzy”というタイトルを選びました。
Q:どのようなプロセスで物語を作ったのですか?何かリアルなストーリーがあったのか、あるいは監督の頭の中で考えられたことなのでしょうか。
監督:これは完全に私の想像の中のストーリーになっています。ストーリー自体にはかなり長い時間をかけていて、一番最初に思いついたのが2000年のあたまくらいですね。主に90年代末の、かなり緊張が高まり、政治的な混乱が起きていた状況からイメージを得ています。今も同じような状況になっているのですが。30年くらいこういった厳しい状況が続いているので、そこからインスピレーションを得ていました。
Q:90年代のトルコでどういったことが起きていたかというバックグラウンドは、映画の中ではあまり説明がありません。何か理由があって時代背景を説明しなかったのでしょうか。
監督:二つ理由があります。まず今作を普遍的な作品にしたかったので、場所がどこなのか、グループが誰なのか、時間がいつなのか、どこなのかというのを特定したくなかったのです。というのも、これは二つ目の理由ですが、誰がテログループで、ロケーションがどこで、時間がどこなのかということを特定してしまうと、事実と映画を比較してしまうと思ったのです。事実と関連しているかということではなく、基本的にはストーリーにフォーカスして欲しかった。このストーリーはどこでも起き得るものだ思っています。
Q:監督は夢か現実か分からないような夢をみることはありますか?また、その経験が映画に入ってきているのでしょうか。
監督:そうですね。いっぱいあります。
Q:登場する二人の兄弟は、最初はごく普通の人に見えたのですが、それぞれがすごい妄想に取りつかれていくさまが描かれていました。このようなことは誰にでも起こりうるということを描きたかったのでしょうか。
監督:そういう意味での普遍性ではなく、政治的な対立や混乱が人に対して何を起こしているのか、何をするのかというのを示したかったのです。政治的な対立や混乱によって、普通の人が狂気に走ってしまう、パラノイアに陥ってしまう。そして結果的に、彼らは自分を破滅へと導いてしまう。どこの国でも政治的な問題で、人のイマジネーションを破壊してしまうことがあるということを言いたかったのです。
Q:犬の登場や、ごみ捨て場でナイフを探し続ける主人公、家の壁をガンガン壊しては修復する弟アフメットなど、メタファーや含みを持たせたシーンがたくさん散りばめられていました。解説をしていただけますか?
監督:メタファーだったのは一つ目の犬だけです。犬を殺しているというのは、テロリストをハンティングしていることのメタファーです。犬が野犬を排除しようとしているのと同時に、警察はテロリストを排除しようとしているので、それをお互いミラーのようなイメージで描いています。そしてアフメットが犬・トーマと友情を築くというのは、テロリストと不正な関係を築くということを示しています。二つ目、ごみを収集して臭いを嗅ぎ爆弾の材料を探すというのは、メタファーではなく、警察が爆弾を捜しているというシュールリアリスティックな手法を描いています。三つ目については明確な意図を持っていたわけではありません。アフメットの狂気を表現しているというか、ドアを玄関から離して自分を孤立させようとしていると解釈してもいいかもしれません。
Q:二人の兄弟が狂気に走っていきますが、それはいきなり走るわけではなく、徐々にだと思います。ゆっくり変わっていく様子を観客に飽きずに観させる手法や工夫はあったのでしょうか。
監督:実際に狂気にいたるまでの臨床的な現実に私はあまり関心がありません。あくまでこれは映画であり、イマジネーションなので、徐々に狂気に走っていくかというところまでは描こうとしていないです。あくまでも、映画のリズムや世界の見え方、あるいは雰囲気がどうだったか、見た目や表面的なものを見せたかった。そこに興味を持ってほしいと思います。