10/24(土)ワールド・フォーカス『コスモス』の上映後にジョナサン・ジュネさんをお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
ジョナサン・ジュネさん(以下、ジュネさん):みなさまこんにちは。今回はこのようにみなさまにお会いできることを大変嬉しく思っています。この「コスモス」の上映に来ていただいてありがとうございます。暖かい歓迎も本当にありがとうございます。
Q:出演のきっかけは?
ジュネさん:実は自分でもちょっとよくわからないんです。監督自身は、私に何を期待するか頭の中で明確になっていたようなんですが、私から見ると少し監督と話して役柄についてディスカッションをした後に、「ハイ君で決まり」という感じだったので、私がなぜ選ばれたのかは監督に聞いてみないとわからないというのが正直なところになります。私が唯一事前にいただいていた情報というのが、この映画の原作に当たる、ヴィトルド・ゴンブローヴィッチという方の作品についてのみでした。監督にお会いする前にその原作を読んでおいたのでどのような役柄かというのは理解をしていたのですが、実際に会って出演が決まってからシナリオをいただいたという経緯になります。シナリオを受け取って思ったのは、原作を読んだときに感じた役柄と、シナリオの役柄はよく似ているな、という印象でした。
Q:原作は映画化不可能とされていた作品ですし、シナリオもかなり複雑な作品だったのではないかと思うのですが、シナリオと映像は非常に近いものと考えてよいのでしょうか。それともシナリオから最終的な作品はかけ離れたものになっているのでしょうか。
ジュネさん:シナリオを読んだ感じと最終的な作品はかなり近いと考えてよいのですが、もともとのシナリオも原作自体も、UFOが登場するなどかなりぶっ飛んだ感じの作品で、今まで他の誰かが作ったことのある内容の作品ではないものでしたので、そのクレイジーな感じの作品がうまく映像化されていると思っています。なので、私がシナリオを読んだときと映像を見たときで、かなり印象としては近いと感じています。
この映画というのはかなり特殊なものなので、観る者個々の感性が問われるタイプの作品となっていると思います。実際、フランス国内でも観た人になかなか理解をしてもらえなかったという経緯があります。なので、私から一言付け加えるとすれば、この作品がなかなか理解できないことは別に恐れることではなく、理解できなくて当たり前という種類の作品だということです。混乱してわからなくなっても、何か感じたものや考えたことがあればそれが皆さんにとっての答えなので、そうした部分を皆さんと分かちあえればと考えています。
Q:撮影時に、ズラウスキ監督はどのような指示を出されていたのでしょうか。例えばかなり細かく演出を付けていくのか、あるいはもう後は任せた、というタイプなのでしょうか。
ジュネさん:両方の種類の指示がありました。ある部分は非常に細かい指示がある一方で、そうではない部分は非常に自由にやらせてもらう、という進め方でした。彼はどのように俳優に接すればよいかを理解している本当に素晴らしい監督だと思います。私は現場に行く際にはもちろん自分のセリフを頭に入れて行くのですが、撮影が始まる30分くらい前に急に監督に呼ばれて、「ヒステリックってどんな感じだと思う?」のような質問をされるんです。「うーん」と考えていると、「30分後にそれやってもらうからちょっと考えといて」とリクエストを受けて、本当にそのまま30分間いろいろと考えて撮影に入るということがありました。結果として私が考えてやってみた演技がよければ、「よしそれでいこう」と言ってそのカットを採用してくれることも多かったので、非常にフレキシブルに映画作りをしていく監督だなぁという印象を持っています。このようにある軸を設けて、その中で俳優に自由にやらせてくれる監督だというふうに思っています。
Q:ジョナサンさんの演じるヴィトルドが、吊るされた雀の死骸に取り憑かれるシーンはどう考えていますでしょうか。
ジュネさん:いい質問ですね。もともとのゴンブローヴィッチさんの原作にも描かれているように、雀の死骸は「死」という概念を表しています。一方で「コスモス」という宇宙の中のカオスという部分を説明するものとして登場していると考えています。また作品の中では、文学の破壊や、現実の違った解釈といった、ゲーム的な要素にも挑戦をしていて、実際レオン(登場人物)さんが作中にゲーム感覚になっていったり、ヴィトルドも雀が吊るされているのを見た瞬間からエキサイトしてしまって、それが強迫観念につながったり、ということが描かれています。で、結局レオンが言っていたように「無・何でもない」という、「死」と「ゲーム」と「無」という3つが作品には混在をしているなど、色んな意味が込められているのだと思います。
Q:食卓のシーンのアンサンブルとか、出演者がみな奇妙な演技や、特にお母さんの躁的な演技にも我々はギョッとしてしまうのですが、ああいったアンサンブルの部分は何度もテイクをして撮影をするのでしょうか。
ジュネさん:実際の撮影現場では、テイクは短く終わることが多かったです。私たち俳優陣は、撮影の前の夜に監督抜きで俳優陣のみで集まって、セリフが完璧になるまで覚えたり、翌日こんな感じで進めようというのを打ち合わせしたりしていました。一方で監督は監督で、前の夜に明日はああしようこうしようというのを考えているので、俳優陣はとにかくセリフをきちんと覚えて、当日監督が言う流れに沿ってきちんと対応していく、という努力をしていました。監督は割とトランス状態で働くタイプの方のようで、あまり考え込んでしまう俳優やインテリタイプの俳優は好きではないようです。本能的に動いていける俳優を求めているという印象がありました。1回のシーンを取るのは最大3回と決まっているのですが、1回目がよければこれはOK、という感じで、次から次へとこれはOK・これはNGと凄いペースで進めていく感じでした。監督はどんな作品にしたいかがすごく明確になっているので、現場自体が動いていくのが非常に早かったです。今の質問はヴォイティス夫人がときどきピッと止まるような奇妙な演技をしているのがなぜか、という質問だったと思うのですが、これはカタトニー(緊張症)といって、行動を起こすときも神経細胞的な問題で動作がピッと止まってしまう病気が実際にあって、彼女はヒステリーになりながらもピッと止まってしまうという動作を繰り返す流れになっているのですが、これはヴォイティス夫人を演じたサビーヌ・アゼマさんの役作りによるものでした。このようにそれぞれの俳優が役作りをして、作品が完成しました。
Q:ズラウスキ監督が本作は15年ぶりの作品なのですが、なぜここまで間が開いてしまったのかということと、それだけブランクが空いたからこそ過剰なエネルギーが現場に注がれてこうした作品になったのかなぁということを考えていたのですが、ジョナサンさんとしてはどういった印象を持っていますでしょうか。
ジュネさん:私は実際の詳しいところは知らないのですが、彼はその間、映画を作る必要がないと考えていたのだと思います。芸術家というのはやる必要があるときにやりたいことをやる、というものだと私自身、考えています。また彼は15年の間、映画は撮影していなかったけれども本を書くということをしていましたので、創作活動自体はずっと続けていました。今回の作品が作られることになったいきさつは、プロデューサーのパオロ・ブランコさんがこの映画を作ろうという話を最初にもってきて、映画化できるかと聞いてきたことでした。監督も最初は「これは無理でしょ」と言いながらシナリオを書き始めて、書いているうちにだんだんおもしろくなってきて本格的に作品化することになったとのことでした。彼は75歳という年齢にもかかわらず、本当に子供や20歳くらいの若者のように生き生きとして製作に臨んでいたので、私もあの歳であんなにエネルギッシュな人は見たことがないという感じでした。私もそんなにエネルギーのある監督と仕事ができて本当に幸せでしたし、この作品を作るのも非常に幸せな形で終わることができたので、彼もまたすぐに次の作品を作りたいと思っているに違いないと思います。
Q:俳優の皆さんは演じられていて、撮影中はカメラが非常に気になるのではないかと思いましたが、実際の撮影中はそれほど気にならなかったのでしょうか。
ジュネさん:実際、私もカメラワークがどのようになっていたのかわからないというのが正直なところです。あれは監督と撮影監督の仕事であって、監督が緻密に考えたことであのようなカメラワークになっているのですが、もちろん撮影中、狭い場所でカメラが近くにあるというときは意識をして注意を払ってしまうのですが、広い場所でどこにカメラがあるかわからないときは、カメラを意識することはありませんでした。監督も、監督と俳優で仕事は棲み分けるべきだと考えているようで、撮影中、俳優は演技に集中し、スタッフはカメラワークなど撮影に集中をするという環境が非常に整っているように感じました。なので作中のカメラワークなどは本当に監督の魔法のようなものです。私にとっても長編の映画に出るというのは初めてだったので、もう少し経験があればカメラワークなどの質問にも答えることができたと思うのですが、撮影中は演技に専念していたのでカメラワークなど答えることができず、その点については本当にすみません。あともう少し質問の補足になりそうなこととして、撮影監督などとたくさんの話をする中で、撮影に関する情報を交換するのですが、私にとってはそうしたスタッフとの情報交換がよい作品を作るうえで非常に重要だと感じました。
Q:ジョナサンさんの今後の活動は?
ジュネさん:私は舞台出身なので、今後は舞台の作品に戻る予定です。今はやりたいことをやらせてもらっているという状況で、よい監督さんやスタッフに恵まれればまた色んな仕事をしていきたいと思っています。実はまだこの作品はフランス国内では公開されていないので、私自身のフランスでの知名度が低いのですが、今後は現代ものの実験的な舞台などを続けながら、色んなタイプのやりたい仕事をやっていけたらよいと考えています。