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2015.10.30
[イベントレポート]
「姿は見えないけれどそこにいる。登場人物の存在をより感じるような撮り方をしました。」CROSSCUT ASIA #02『インビジブル』-10/22(木):Q&A

インビジブル

©2015 TIFF

 
10/22(木)、CROSSCUT ASIA『インビジブル』の上映後、ローレンス・ファハルド監督、プロデューサーのクリスマ・マックラン・ファハルドさん、脚本のヘルリン・アレグレさん、女優のオイー・バローさんをお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
Q: ファハルド監督は『アモク』『果てしなき鎖』という2作品が、2011年、2012年とアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映されていて、その際に色々な出会いがあったことから今作が実現したということです。そこからどのように映画が完成にいたったのでしょうか?
 
監督:2012年に福岡にいたとき、初めて日本で映画を撮りたいと思いました。原案を考えてくださった今日のゲストのヘルリン・アレグレさんがこの脚本の原案を持っていて、それは元々劇のための脚本でした。舞台として上演もしましたが、その後マニラでブリランテ・メンドーサ監督に脚本を見てもらい、支援・助言を受けながら、彼がエグぜクティブ・プロデューサーに名乗りを上げて、そして1年後に福岡と旭川で協力を受けて撮影しここに至りました。
 

Q:北海道は、フィリピンとは大きく気候が違うと思います。雪深い中での撮影で大変だった点や、逆に違うことによって楽しかったことを聞かせてください。
 
監督:旭川と東川の両方で撮影をしたということで、本当に僕も初めての経験でした。大変ではあったのですが、初瀬川晃さんが非常によく面倒を見てくださり楽しい時を過ごせました。ロケハンは撮影に先立って昨年の11月に行いましたが、探していた希望通りの場所へ彼が連れて行ってくださって、もうこれは完璧だということでスムーズに撮影ができました。実は東京も撮影地として候補に考えいましたが、予算的に高くなり過ぎそうなこともあり……。
 
ヘルリン・アレグレさん(以下、アレグレさん):なぜ東京かというと、もともとのオリジナルの舞台劇が東京という設定だったので撮影地の候補にあがったんです。もうひとつは、映画が90年代末という設定で、東京ではその時代の情景をそのまま映すのは難しいので、それを考慮して北海道にしたということもあります。

 
Q:俳優は日本に滞在していらっしゃる方ですか?
 
クリスマ・マックラン・ファハルドさん(以下、プロデューサー):主要な4名の俳優は全員フィリピンにいらっしゃって、中でもベンジー役のベルナルド・ベルナルドさん、リンダ役のセス・ケサダさんは実際にフィリピンの舞台で演じた方を起用しました。加えて、オイ・バローさんは東京に住んでいらっしゃいます。初瀬川さんは役者としても登場しています。警官役ですね。日本人の役者さんは、基本的に地元で起用しました。
 
監督:ベンジー役のベルナルド・ベルナルドさんとリンダ役のセス・ケサダさんは、フィリピンで30年来活躍しているとても有名な俳優さんです。彼らは舞台もあったので、つまり2年間映画に向けて準備ができました。若手のロデル役のJMデ・グズマンさんは、テレビドラマなどで今、めざましい活躍をしている方です。
 
Q:劇中に日本語とタガログ語が出てきますが、舞台もバイリンガルの劇だったのでしょうか。
 
アレグレさん:実はこの脚本は英語で書きました。上映にあたってタガログ語に翻訳したんです。舞台でも実際の日本語の単語が少し含まれています。
 
Q:メインの4人の主人公ですが、モデルになった人物や実際にあった事件をモチーフにしているということはありますか?
 
アレグレさん:実際にこうしたキャラクターが存在していたという設定ではありません。ただ、リサーチはいろいろしました。本も読みました。かつて日本に不法滞在していた方や、延長で残っていた方?が書かれたものもあります。もちろん記録に残っていないものもあるわけですから。実際に日本で仕事をしていた方にインタビューをして経験をうかがい、なるべく現実のキャラクターに近い肉付けをしました。
 
Q:なぜ90年代末という設定にしたのでしょうか?フィリピンの方が日本に多く滞在していた時期なのですか?
 
アレグレさん:フィリピンの労働法が変わった時期でもあり、1992年は、これまで記録されている中では日本に滞在しているフィリピン人の数がもっとも多かった年です。二十万から三十万人はいたのではないかと。これは正確に把握できていない数ですが、日本にやってきた労働者、不法滞在者の多くをフィリピンの方が占めていた時期だったということです。
 
Q:今回撮り方としてどのようなテイストで進めていくか、どのような配慮をされたのかお聞かせください。
 
監督:なかなか簡単に答えづらいかもしれません。もともと舞台劇の脚本があったので、それを忠実に映像化したらこうなったということです。構成・構図的なものはすでにあったわけですね。それに基づいてこういった画の撮り方になりました。私自身、映画の編集を手がけているので、自分のカメラの撮り方・立ち位置はかなり計算して、さらにその上で編集することも念頭におきました。そして、かなり早いペースで撮っていくということ。今回の『インビジブル』でも、自分が普段から手慣れているやり方で撮りました。ただ常に実験もしていて、僕の映画言語、自分の個性は反映できたと思います。そして、フィルムのコンセプトとなったのが、タイトルの“インビジブル”、すなわち人の姿が“見えない”ということです。姿は見えないけれども、登場人物の存在そのものをより感じるような撮り方にしました。例えばベンジーが電話をしているシーンで、彼の声は聞こえるのに、画面の前の方には日本人の人たちが歩いているとか。それから、時に見えていない存在だけど存在するのだよということを反映したいないう気持ちで撮りました。そして映画の冒頭、リンダが居るのだけども窓の影になっていてよく見えない。そして彼女がただ窓を開けるというシーンで始まって、そして映画の最後、彼女がドアを閉じるということで終わるという、オープニングもクロージングも彼女が仕掛けている……というかたちで撮りました。
 
Q:小津安二郎の映画を思わせるようなシーンもありました。日本で撮るからということで、日本映画を意識して撮影されたのですか。フィリピン映画はアメリカ映画の影響が強いと思いますが、監督はこのスタイルをどのように確立されたのでしょうか。日本の影響はありますか?
 
監督:実は脚本家・撮影監督が共に、小津安二郎監督について勉強した部分は確かにありますね。もちろん私は小津監督が巨匠だということは存じていますが、実は以前は作品を拝見していなかったのです。その後、僕も撮影監督たちの事を聞いて、ちょっとリサーチをしてみました。ただ、あえて僕はそんなに映画を見ないようにしています。自分のスタイルというものを確立したい、影響を受けたくないというところがあります。本当に娯楽のために、ロマンチックコメディやアニメなんかも観ることはありますが。ただ撮影監督はやはり、小津安二郎監督にインスパイアされた部分はあると思います。彼に触発されて日本で撮ったということが多大にあったということをここで触れておきたいと思います。北野武監督 黒澤明監督。このお二人が一番好きな監督です。
 
オイー・バローさんから、最後に一言うかがえますか。
 
オイー・バローさん:実は私、今日初めてこの映画を観ました。日本に住んでいるので、観る機会がなかったんですね。ベンジー役のベルナルド・ベルナルドさんは私にとってのメンターです。彼がアシスタントディレクターというかたちで演出した舞台やミュージカルに出演していました。なので、彼とは20年くらいの親交があるのです。ずっとSNSなどで連絡をとっていて、ベルナルドさんが「今度日本で撮るのだけどこのキャラクターどう?やってみる?」という風に声をかけていただいて、出演したわけです。私は日本にるので、本当に身近でよく知っている情景、役柄でした。80年代末に日本に来て、その後いったんフィリピンに戻って97年に再来日したのですが、いわゆるバブルの時代にフィリピンから日本へ来た人たちがまだ残っていました。私の役柄も当時の状況というのをよく反映して、ちょっとセクシーな役を、セクシーな3分間を演じさせていただきました。

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