10/26(月)ワールド・フォーカス『シム氏の大変な私生活』上映後、ミシェル・ルクレール監督をお迎えし、Q&A が行われました。⇒作品詳細
ミシェル・ルクレール監督(以下、監督):皆様こんにちは。実はは初めての来日で、日本も東京も初めてです。全部が新鮮で、映画を観ることよりも街中をぶらぶらして色々見まくっているという状態です。今回、この映画はフランスではまだ公開されていませんので、皆さまの反応をうかがえるのを楽しみにしております。
Q:今までオリジナル脚本も手がけていらっしゃるなかで、今回は原作があります。監督がこの作品を映画にしようと思われた、作品に惹かれた点を教えていただけますか?
監督:原作には、すごく思い出深いタイミングでこの作品に出会いました。今回、共同脚本をしているバヤ・カスミは、私の私生活上のパートナーでもあるんですが、まず彼女の方がこの作品を先に読みました。そして「これを読んだら絶対気に入るよ」とすすめられたんです。なぜ思い出深いタイミングだったかと言いますと、実はそれが自分の両親を亡くしたタイミングでして、この映画に描かれているシム氏のように、本当に人生のどん底状態で、落ち込んでいたんです。何とかして元の世界にはい上がろうとしていたそんな時にこの作品と出会いました。今作は現代社会における孤独を描いていますが、コメディタッチにしながらこういう重苦しい題材を扱えるんじゃないかと思いました。それで映画化を考えました。
Q:マチュー・アマルリックさんが出てくるところがキーポイントになっていて、絶妙なキャスティングだったと思います。キャスティング全体についてお聞かせいただけますか。
監督:まず主役のシムを演じているジャン=ピエール・バクリなんですが、彼はフランスでは大変有名で愛されている役者さんです。多くの映画作品にも出演していて、奥さんのアニス・ジャーウィーさんとよく共演されています。いかにもフランスのコメディ俳優さんという感じで、マチュー・アマルリックさんほど世界的に知られた存在ではありませんが、フランスではすごく愛されている人です。最近は映画の出演が少なくて、ここ二年ほど出ていらっしゃらなかったのですが、私自身、彼のことが本当に大好きで、今回の冒頭で怒ったりするような、荒い人格の部分がすごく合っていると思いました。一方で、子供時代を遡りながら、ちょっとノスタルジックで脆い部分が出てくるような、そういうところはこれまで見たことがなかったので、やらせてみたら面白いんじゃないかと思い起用しました。冒頭の10分で、フランスでもこういう感じで知られている人なんだと、彼の人物像を深く描いています。
それから、彼についての面白い裏話があります。彼は飛行機が大嫌いなので、国外に出ることがないんです。それで今回も来られませんでした。飛行機に乗ると隣の人が死んじゃうからって。飛行機の中で隣の乗客が亡くなってしまうというのは、今回の原作のイギリス人作家であるジョナサン・コーという人のストーリーがベースなんですが、それは彼の奥さんに実際に起こった出来事なんだそうです。
マチュー・アマルリックさんは、今回ジャン=ピエール・バクリさんほどの俳優と対峙するにあたって、わずかな場面しか出てこないけれど印象に残る人をということで起用しました。主人公と見つめあっただけで何かありそうだと思わせるくらいの大物です。すごく適役だったと思います。
Q:シム氏の行動を見ていると、相手に対する共感とか、コンテクストを読むとか、人の気持ちに対するそういった感情がないようです。これは一般に発達障害やアスペルガーといった人の特質だと思いますが、シム氏はそうした症例を参照するようなキャラクターなのでしょうか。また、それは現代を描くために用いられているのでしょうか。
監督:医学的なアプローチやリサーチというのは一切していません。この人物の中で私が気に入っているのは、どん底で落ち込んでいながらも、一応努力はしているというところです。ふつう落ち込んだ人が描かれると内に閉じこもってしまうんですが、彼は人と対話しようという努力はしている。人の気持ちを理解できない部分はあれど、それでも人に近づこうとしているんです。
彼の役柄で面白いのは、落ち込んでいるのに明るいところ。「ああ、俺って落ち込んでるよな」というのを、まるでクリスマスにプレゼントをもらった子供が喜んでいるように明るく話している。ちょっと矛盾はしているかもしれませんが、そういうキャラクターが、コメディを描くにあたって面白いなと思いました。
現代社会を描くという点では、今回GPSやナビゲーターがその象徴的な役割を演じています。彼がどこにも連絡がとれなくなってしまったときも、最後は自分とGPSしかいない。現代社会は通信ツールが発達していて、いつでも誰とでも何処とも繋がっている。その一方で、いくら通信ツールが発達しても孤独な人はもっと孤独であるという、そうした社会的矛盾を描いていてます。シム氏もどこかと接続してコミュニケーションをとってはいるんですが、孤独に陥ってしまいます。それは現代社会では誰にでもあり得ることです。コミュニケーションをとっているつもりでも実はコミュニケーションになっていなかったという、そういう部分を描いています。
Q:シム氏は生来からいわゆるセクシャルマイノリティだったのでしょうか。それとも、映画で描かれたいろいろな出来事や環境によってそうなったのでしょうか。
監督:実はこの質問を待っていました。というのも、元々は原作の小説であのような描かれ方がされているのですが、私自身もそれをどう捉えたらいいのか、ずっと自問自答をしているんです。
これは複雑な質問ですが、まず前世代から受け継がれてきたという感じで、自分の父親の秘密を知ってしまったというところがあります。実際のところ父親は一歩踏み込めず、そこまではいっていないんですが、息子はそれを知ったときに、父親のようにはなりたくないと、一応拒絶しているというのがまず挙げられます。
映画のなかのシム氏は、ある年齢に達して自由な人間になりたい、今まで自分の上に重くのしかかっていた、社会的なしがらみから解き放たれたいと思っています。そうした時に、自分に興味をもってくれている人がいるんだと分かり、考えてみると今まで女性と何度も失敗を重ねてうまくいかなかったし、英語でいう“why not”みたいな感じで、そういうのもいいんじゃないかという感じで、ちょっと目覚めたということです。実際あの後どうなったかは分からないし、別に彼はゲイではないかもしれない。ただ可能性としてあってもいいかなと、本人がちょっと思ってそれを受け入れたというところです。